校長のあたまのなか

小笠山に思いを寄せる

2024年12月13日 10時20分
研修

 学区にある荻原製茶の荻原克夫さんが、訪問された。本校の応援歌の歌詞のコピーを所望されたのだった。聞けば、お孫さんが歌っているのを聞いて、懐かしくなり、ご自身が発行している「遠州袋井 お茶紀行」の冊子に掲載してもよいか、とのことだった。克夫さん自身も「♬小笠の山の嶺つづき」で始まる応援歌を今でも歌えるそうである。

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 いただいた冊子を読むと、その内容の濃さに驚いた。産地、歴史、名所の3部構成である。特に歴史の部分の充実ぶりがすばらしい。荻原克夫さんの文責とあるから、かなりの才筆である。

 歴史の章に興味深い記述があった。

 昭和20年代まで小笠山は松材の大産地であり、当家は松材の製材所でもありました。拙宅の天井板は、当時1丈2尺の赤松をひいたものです。 ※1丈2尺は約3.3メートル

 この松林のおかげで小笠山は松茸の産地として築地でも有名でした。<小笠郡史> このため他人が山に入るのを監視する「松茸番所」がありました。

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(歴史の章 5ページの一部)

 本来の植生が戻り、小笠山がアカマツの林になって、マツタケがたくさん生えるようになったらと考えたら夢がある。小笠山が宝の山になる。お茶とミカンのほかに、笠原を支える農産物になるやもしれぬ。 

「鼓濤教育」がつくる未来の笠原を支える人材

2024年12月12日 15時00分
その他

 校長として、令和7年度学校経営構想を考えている。1月には職員に提示できるよう準備を進めているが、ずっと心に引っかかっているのが「鼓濤教育」というキーワードである。(以下のリンク参照)

https://kasahara-e.fukuroi.ed.jp/plugin/blogs/show/17/53/4483#frame-53

 「鼓濤教育原論」は、― 公立学校における長期の教育計画はいかにして可能かという壮大なテーマのもとに執筆されたが、未完のため、「鼓濤教育創造の為の具体的な方法」等を知ることはできない。目次の最終綱「鼓濤教育実行の結果」によれば、教師・児童・父母の幸福享受に寄与するものを目指していたのだと察せられる。

 いろいろと調べたが、その後50年間、笠原小学校では、「鼓濤教育」について、再定義、理論構築等を行うことはなく、漠然として本校ならではの教育全体を「鼓濤教育」と呼び、一部で使用してきたのだと思われる。10年近く前の「広報ふくろい」には、校風として以下のような紹介があった。

https://www.city.fukuroi.shizuoka.jp/material/files/group/15/150401_16.pdf

 50年前の理念が残っているのか、笠原コミュニティーセンターが主催する成人対象の教室や行事が今でも「鼓濤学級」と呼ばれ、活動が続いている。もとより、「鼓濤教育」は、学校だけでなく、地域を巻き込んだものだった。

https://fukuroi-comicen.jp/news/news-362465/

 コミュニティースクールや地域学校協働推進活動が進められる今、「鼓濤教育」を「笠原地区とともにある笠原小学校の教育」として再定義し、その理念や進め方を教職員と地域住民で、共有していこうと思う。令和7年度の学校経営構想は、校内のみならず、地域に発信するものとなる。「鼓濤教育」の理念や進め方の軸を考えてみた。

「笠原に親しみ、笠原を自慢できる子」をめざし、自然、文化、歴史、産業、防災等の地域学習を位置付け、地域人材との交流をさらに深める。地域を知り、調べ、まとめ、発信する探究学習を進める。キャリア教育の中でより良い生き方を考えさせ、笠原を愛し、未来の笠原を支える人材を輩出する。

 小学校での生活科や社会科、総合的な学習の時間の中で、地域学習に重点を置き、笠原のことを学び、笠原が好きな子を増やし、笠原の自慢を発信していく。笠原のことを学ぶために、笠原の地域人材の力をもっと学校に取り込んでいく。

 大人になっても笠原が好きで住み続ける子、笠原を離れても笠原に思いを寄せられる子を小学校から育てようと思う。そうすれば、人口減少が進んでも限界集落となることは避けられる。令和の「鼓濤教育」は、地方としての生き残りをかけ、未来の笠原を創り支える人材を育成するものとなろう。

「美文字書き取り」いいと思います

2024年12月10日 14時11分
授業

  漢字の指導方法については、いろいろと考えているところですが、静芳さんのYouTubeですてきな動画を見つけました。子どもたちだけでなく、先生方にも参考になると思います。

 「校長のあたまのなか」は、「書き取りでびっくりするような美文字を書けるようになれば、子どもたちも自信をもち、練習に意欲的に取り組むのではないか。」「すでに習った漢字を美しく書けるようになることが、漢字好きの子を育てる近道ではないか。」という具合です。

 実際に動画を見ながら、書き取り帳のマスで一文字ずつ練習すると、うまくなった気がします。一度、動画を視聴してもらい、賛同してくれる本校担任は、練習に取り入れてほしいです。

 学年ごとの漢字を1年生から公開しています。この動画は、本当に分かりやすいので、校長のおすすめです。

https://www.youtube.com/watch?v=xxFxj_0sJHs

 前学年の漢字を練習させてみてはいかがしょう。書き取りは、量より質の練習で漢字力を高めることができると思うのです。私が子どもだったら、担任にこう言われたらうれしいです。

「今日の宿題は、スペシャル書き取りです。前の学年で習った漢字を動画を見て、美文字で10字書きなさい。」

 動画のような美文字が書けていたら、大きな花丸を付け、子どもと共に喜びを分かち合いましょう。「この字、すごくきれいだね。」

11月進捗状況

2024年12月9日 09時04分
働き方改革

 11月分の自校集計では、常勤19名(支援員等を含む)の超過勤務時間(残業)の平均は、23時間42分だった。10月よりも2時間24分減った。45時間超は0人。教頭と教務主任の超過勤務時間はそれぞれ、33時間20分と37時間33分だった。学級担任で最も超過勤務時間が長かったのは、31時間54分(6年担任)だった。参観会や修学旅行があったが、10月よりは超過勤務が減っている状況は好ましい。12月の超過勤務時間の平均は20時間を下回ることを目標としたい。

大きなクレーン車

2024年12月3日 10時54分
その他

 廊下の窓越しにクレーンが動くのが見えました。外に出てみると校舎の屋上よりも高く、腕が伸びていました。校舎の外壁工事のための資材を上に運んでいます。

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ウクライナ民話 てぶくろ

2024年12月2日 12時15分
その他

 今日は、朝の読み聞かせの役だったので、図書室から絵本を選んで教室に向かいました。ウクライナ民話「てぶくろ」です。私が子どものころに読んだのと変わっていません。

 1965年11月1日発行とありますから、長い間売れ続けている絵本です。図書室にあったのは、第49刷(1983.11.1)の古い本です。

 おじいさんが落としたてぶくろに、いろいろな動物が住み着き、家のようになっていくのが何とも楽しいのです。最後は熊がてぶくろに入ろうとするのですが、拒まれることはありません。ねずみ、かえる、うさぎ、きつね、おおかみ、いのしし、くまが仲良く手袋で暖まるのです。最後は、おじいさんが落とした手袋を探しに来て、動物たちは逃げ出してしまいます。

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明日から修学旅行

2024年11月25日 09時59分
働き方改革

 明朝の職員集合は午前6時。6年生は6時20分登校。早い。

 勤務時間外なので、教頭以外の職員の見送りは行いませんが、ご容赦願います。同様に学校に戻ってくる27日の午後6時30分も、教頭が出迎えを行います。働き方改革を進めている本校では、修学旅行時の職員による見送りや出迎えの対応を極力やめていきます。

 つい最近まで学校では、修学旅行のときには、ほぼすべての職員が早めに出勤し、駐車場の案内や見送りを行いました。帰りには、校舎の電灯をすべてつけて明るくして、多くの職員が出迎えました。時間外勤務という扱いもなく、そうすることが小学校の文化として残ってきたのだと思います。

 修学旅行の引率を行った職員は、勤務時間の割り振りをきちんと行い、超過した時間分の休みを別の日にとってもらいます。

 今回の修学旅行の様子は、現地から学校ホームページとコドモンでこまめに発信していこうと考えています。6年生の保護者は、学校ホームページをチェックしてみてください。

九九道場 

2024年11月20日 13時06分
授業

 11月20日から、2年生のために昼休みに校長室で「九九道場」を開きます。初日から、道場やぶりが来ました。(セリフを言って入室します。)

せっしゃは、〇〇(自分の名前)と もうす。いざ、九九道場やぶり にまいった。くだり九九で じんじょうに しょうぶ ねがいたい。」

「ちょうせん おうけ いたす」(と答え、ストップウォッチ スタート)

「九九八十一、九八七十二、九七六十三・・・・・・」

(失敗すると、ブブーの効果音が鳴り、終了)

 延べ16人がいどみ、いまだ合格がありません。3年生も見学に入室しましたが、おそれをなして挑戦してきません。ついに、合格者が出ました。2年担任が用意した賞状に名前と日付を書いて、賞状授与。初日の道場やぶり成功者は1名のみとなりました。

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