せっかく校長室に来たんだから
2024年4月23日 11時49分3時間目に1年生の学校探検がありました。11人の1年生が、2人または3人組で校舎内をまわり、シールを集めます。「失礼します。」「失礼しました。」のあいさつも言えてりっぱでした。
「せっかく校長室に来たんだから、校長先生になっていきなさい。」と言うと、みんな校長先生の気分で仕事のまねをしてくれました。ノリのいい1年生たちです。気分が和みます。ありがとう。
3時間目に1年生の学校探検がありました。11人の1年生が、2人または3人組で校舎内をまわり、シールを集めます。「失礼します。」「失礼しました。」のあいさつも言えてりっぱでした。
「せっかく校長室に来たんだから、校長先生になっていきなさい。」と言うと、みんな校長先生の気分で仕事のまねをしてくれました。ノリのいい1年生たちです。気分が和みます。ありがとう。
本日、晴れ。校内巡視中。校舎3階窓から南を望む。海岸まで3.5㎞。最近、各地で大きな地震が続いているので、心配。ここで地震が起きたらどうなるだろうという想定を頭の中でいろいろとしてみた。
4月15日(月)の夜、PTA評議員会が行われました。令和6年度が始まったばかりなのに、もう令和7年度の会長決めの話が出ているのです。PTA総会のやり方についても活発に議論が交わされました。コロナ禍が明けて、すべてを今まで通りに戻さなくてもよいと感じます。以下は校長挨拶の一部から。
今後、少子化が一気に進みます。今のうちから、PTAの見直しを行っておかないと苦しくなると思います。今年の1年生は11人です。今の1年生が6年生になったときには、保護者の負担は今よりもずっと重くなるでしょう。校長としては、入学式や卒業式の会長挨拶も求めません。お子さんに近い席で式に参加していただければ十分です。集まらなくてもよい会合は減らし、なくてもいい部は廃止・縮小すればよいと思います。親も先生も我慢比べのような、やらされ感いっぱいのPTAはやめて、できる人ができるときに学校と子どもたちのために協力できる組織に変えたいと強く思います。ぜひご協力ください。
4月16日と17日の2日間は、新任校長研修で学校にいませんでした。校長は何のために学校にいるのかを深く考えさせられた研修でした。研修で感銘を受けたことを教頭さんと共有しました。よりよい学校づくりに役立てていこうと思います。
135人の全校児童の顔と名前を早く覚え、先生たちの様子をつかむために、校長の学校探検の再開です。ついでに写真を撮って、みんなのがんばりを外部に発信するのが、役目だと思っています。
今夜はPTAの会合があるので、役員さんの到着を待っているところです。その間にちょっと考えたこと。
THE BLUE HEARTS(ザ・ブルーハーツ)の曲に「情熱の薔薇」があります。個人的に大好きな曲で、今朝の通勤途中の車でも聴いてきました。TVコマーシャルや番組のBGMでも流れることがあるので、サビの部分だけは耳にしたことがある人もいるでしょう。
私は、しばらく幼児教育の仕事に携わっていたので、ルソーの「エミール」を研修資料作成のために読み返したことがありました。情熱の薔薇の歌詞の意味が深く、「これ、エミールじゃん」と妙に納得してしまったことがあります。
なるべく小さな幸せと なるべく小さな不幸せ なるべくいっぱい集めよう そんな気持ちわかるでしょう
ルソーはエミールの中で、自由や幸福について論じています。自分の能力を知り、理性でコントロールでき、多くを望まないことが幸福であり、欲望と能力の不均衡が不幸につながると言っています。
甲本ヒロトは、ルソーの思想に近いと感じます。自分の能力と欲望のバランスが取れているから、「実現可能な小さな幸せと、ダメージの小さい不幸せを集めたいっていうオレの気持ち分かるだろう」と問うているのです。
うん、よくわかる。昔は気にならなかった歌詞が今は胸にグッとくる。そのうえで「情熱の真っ赤なバラを咲かせるために心のずっと奥の方にある花瓶に水をやるんだぞ。」というメッセージもすばらしい。甲本ヒロトさん、あなたはすごいです。
でも、「見てきた物や聞いた事 いままで覚えた全部 でたらめだったら面白い」の歌詞は、教員としては困ります。ハイ。
初めて子どもたちに出会った4月5日に私は、「きれいなジャイアンを目ざします」と言いました。その日から子どもたちに「なんでジャイアンなの?」と聞かれることが多くなりました。
きれいなジャイアンは、てんとう虫コミックス36巻の「きこりの泉」に出てきます。ひみつ道具のきこりの泉に物を落とすと、女神ロボットがあらわれます。正直に答えると、すてきな物に交かんしてくれるのです。よくばりなジャイアンは、ガラクタを泉に入れようとして、自分が落ちてしまいます。女神ロボットがつれてきたのが「きれいなジャイアン」なのです。
「環境」と「遊び」の認識が全く違うと感じます。
園は「環境を通して行う教育・保育」なので、「環境」とは遊びの場の設定や準備そのものを指すことが多いです。
小学校では、「環境教育」「自然環境」などの理科的な使われ方と掲示物や施設等を含め「教室環境」という言い方をします。
園の保育者は、子どもたちがとことん遊びに没頭するような仕掛けを考えるのが得意です。遊びこめないときは、「環境」が悪かったのだと反省します。どうやって子どもたちを遊ばせようかと日夜考えているのです。
小学校の教員にとって、遊びは子供たちへのご褒美のようなものです。がんばったときや学期末のお楽しみ会で遊ばせてくれます。ふだんの学習では、どうやって遊ばせないようにするかに気を遣います。余分なものは机上に出さないのも遊ばせないためです。
遊べば遊ぶほどほめられていた園から小学校に入学した幼児は、戸惑います。「小学校でも遊んでもいいんだ」と知ることで、心理的安全性が高まります。
「さんすうせっと」は、幼児にとって宝箱です。でも、小学校教員は、いかに遊ばせないようにするかに気を使い、必要なものだけを机上に出させ、指示があるまで触らせません。幼児が小学校で初めに身に付けるのは、待つこと、聞くこと、我慢することになりかねません。
笠原小では、算数の学習が始まる前に、1年生に「かずのおけいこどうぐ」でとことん遊ぶように指示を出しました。そのかわり、時間が来たら自分で片づけをするという約束をしておきます。
10の姿を園と小学校が共有し、つないでいくことが求められているのですが、小学校の先生方にとっては10の姿のとらえ方が分かりにくいと思います。勘違いされやすところですので、まとめてみました。
園では、小学校教育の前倒しを行っているわけではありません。 園で育ててくれた力を、小学校側がゼロスタートでリセットしないように引き継いでいきましょう。