環境教育
朝の登校指導のときに、正門付近の植え込みでトンボを見つけました。シオカラトンボでもウスバキトンボでもなかったので、追いかけて近づいて撮影に成功しました。
アカトンボのなかまのマユタテアカネでした。オスのおしりの先がつんと上を向いているのが特徴です。顔にも特徴があり、まゆ毛のようなものがついているように見えます。
3、4年生はビオトープでつかまえることができると思います。ほかにも、トンボがいるかもしれないので、子どもたちと一緒に探してみようと思います。

涼しくなって、セミの鳴き声もツクツクホウシとミンミンゼミに代わりました。
防災
一部の職員が午前6時30分に出勤し、崖の様子と登校時の対応を確認しました。午前7時30分から4人の職員で対応を開始しました。
いつもと違う通学路になる子たちがいましたが、2名の職員で誘導と安全確認を行い、崖を迂回して、無事登校できました。


西門の急で狭い上り坂を職員の自家用車が上がってくるときは、児童の安全を確保するために、別の2名の職員がトランシーバーを持ち、連絡を取り合って、車を一時止め、児童の通行を優先しました。



本日、9月2日に市の担当者に連絡をして、現場確認を行い、問題がなければ、片側通行を解除します。市の担当者には、崖から覆いかぶさるように生えている樹木の伐採を急ぐように再度お願いするつもりです。明日以降の対応については、コドモンにて保護者に連絡をします。
なお、今後も今回のような対応が起こりうると想定されます。9月6日(金)のPTA評議委員会で話題にしていくつもりです。
土砂警戒9月2日(月)対応 ※対応職員用.pdf
防災
9月1日(日)の午前に、本校敷地の北に隣接する土砂災害警戒区域の確認を市職員、市教委で行いました。校長、教頭、教務主任も現地を確認し、対応を協議しました。その後、PTA会長、副会長にも連絡し、笠原コミュニティセンターから笠原小正門へと上がる坂道を片側通行止めとすることにしました。子どもたちの安全を第一に考えての対応ですので、ご容赦願います。
本校は、雨が降ると、学校の敷地内の駐車場まで多くの保護者が車で送迎を行います。子どもたちの危険がないように、職員2名で誘導を行っているのですが、明日の朝は、その対応ができません。また、片側通行止めで、坂を上ってくる車と下る車のすれ違いもできないので、明日の朝は、雨が降っても保護者による送迎はご遠慮願います。
明日の朝は、子どもたちの安全確保のために複数の職員が、学校周辺に立ちます。一部、通学路の変更を行う地区がありますが、コドモンにて連絡しましたので、ご確認ください。
その他
台風の接近で、給食がなくなったので、本校職員を募って茶ちゃ処に出かけました。地域の有志で運営するお店で、毎週金曜日の11時からランチが楽しめます。

車3台に分乗して17名で出かけました。地元食材を使ったランチ500円、アイスコーヒー250円でした。

本日のメニューは、おにぎり、みそポテト、煮物、すまし汁、きゅうりとしょうがの漬物、メロンでした。(写真にはすまし汁は写っていません)

旧家の離れを改築してお店にしています。もともとは、米のもみ殻を取る装置を製造していたそうです。その模型を見せながら説明してくれました。先代は、笠原小学校にもゆかりがある方だったそうです。
47名のスタッフが集い、地域おこしを兼ねて楽しく働いていらっしゃいます。地元でもあまり知られていない穴場ですが、お勧めです。月曜日のお昼は、手打ちそばが食べられます。地元の農産物やお惣菜の直販もあります。なお、おそばは事前予約が必要です。
地域学校協働本部の高橋さんに紹介してもらい、夏休みに職員数名で食べに行きました。おそばの日に一人で行ったこともありますが、とてもよかったです。
茶ちゃ処の横には、茶ちゃファームがあって、アサギマダラを呼び寄せるためにフジバカマを植えてあります。笠原小学校のビオトープにも、フジバカマを植えたので、秋が楽しみです。店の北には池があって、冬には水鳥が集まるそうです。子どもたちの学区探検のコースにも入れていこうと思います。
茶ちゃ処 〒437-1312 静岡県袋井市岡崎4129 - Google マップ
営業日 月曜 11:00~ 金曜 11:00~
※ お昼のみの営業です。
お店のことは、高橋さんが詳しいです。高橋さん自身も「茶ちゃどころ」の紹介をしていますので、そちらをご覧ください。
※ 教頭に確認したところ、高橋さんは、令和7年度からの地域学校協働活動推進員(学校運営協議会委員を兼ねる)だそうです。
笠原に観光スポット #おにぎりハンバーグ #茶ちゃ処 #袋井市 #石臼 #木造建築 #梁 #はり #ひなまつり│袋井笠原 高橋モータース (hamazo.tv)
研修
夏休みに読んだ本に、こんなことが書かれていました。常識がくつがえされた思いです。だから、動物にも睡眠が大切なのだと実感しました。
植物も睡眠する。動物も睡眠している状態が本来なのだが、えさをとったり、生殖したりする必要があり、起きなくてはならなくなった。
静岡県藤枝市出身の脳科学者に池谷裕二(いけがや ゆうじ)さんがいます。現在、東京大学の教授で、一般読者向けにたくさん本を書かれています。高校生への講義を書籍化した三部作の最新が「夢を叶えるために脳はある」です。「進化しすぎた脳」「単純な脳、複雑な私」も読みましたが、今回の講義は、抜群におもしろかったです。池谷先生のホームページも興味のある方はどうぞ。
池谷裕二のホームページ (gaya.jp)
防災
昨日、午後4時に避難所開設の打診がありましたが、笠原地区は、小学校ではなくコミュニティセンターに避難所が開設されました。
今朝、避難所の様子を聞きに訪れたところ、昨夜の利用者は0人ということでした。担当の市職員2名の方、徹夜でお疲れさまでした。洪水等の危険がなければ、今後もコミュニティーセンターを1次避難所とし、人数が増えたり、水位が上がってくれば、高台の小学校体育館に2次避難所として開設することになりそうです。
防災
8月29日午前に非常に強い台風が九州に上陸しました。九州、四国を横切り、本州を縦断する見込みです。接近する前から雨が強まっていますが、今後は風も強くなることが予見されます。袋井市には、9月2日の月曜日に最も近づきそうです。
過去に上陸した台風の被害から考え、今回も河川の氾濫、倒木、土砂崩れ、家屋等の損壊、停電の被害が起きてもおかしくありません。いくつかの想定と留意点について考えをまとめてみます。
【土日に笠原小体育館に避難所が開設された場合】
避難所開設の袋井市職員が対応します。なお、トイレの工事を行っているので、使用できるトイレが制限されます。体育館横の仮設トイレ、外プールのトイレが使用可能です。
【月曜午前6時30分の時点で停電の場合】
市教委と連絡を取り、教頭のスマホからコドモンで休校連絡をします。停電復旧すれば翌日から登校とします。
【土砂災害警戒区域での倒木や崩れなどの異変があった場合】
発見次第、市教委と連絡を取り、対応を協議します。正門に上る坂を封鎖した場合は、西門と東門のみ使用します。三輪、三沢、柏木の3地区の児童は、東門を利用してください。笠原コミュニティセンターの未舗装の駐車場も危険なので使用を控えてください。休校とする場合は、コドモンで午前6時30分ごろに連絡をします。暴風警報が出ているときは、自宅待機としてください。
その他
今年の夏は、フランスでオリンピックが行われました。今回は、オリンピックではなく、昔から日本人に人気があるフランス人の話をします。
ジャン・アンリ・ファーブルという人です。一生懸命に勉強をして小学校の先生になりました。91歳で亡くなるまで昆虫のことを研究し続けました。日本でも、100年ほど前に「昆虫記」が紹介され、とても人気になりました。
ファーブルが、子どものころの話をします。ある晴れた日にファーブルは太陽をまぶしいと感じ、「不思議だな」と思いました。「ぼくは、太陽をどこで見ているのだろうか?」と。ファーブルは、口をふさぎました。太陽は見えています。耳をふさいでも見えています。目を閉じると見えなくなりました。何度やっても同じです。ファーブルはこの大発見を家族に話しました。すると、親や兄弟は笑いました。「ばかだなあ。そんなの当り前じゃないか。」ファーブルのおばあさんだけは、この素晴らしい発見を認めてくれました。
ファーブルは、子どものときからずっと、自分で考え、観察や実験をして確かめる態度が身に付いていました。ファーブルは生き物が大好きだったので、学校の先生になってからもずっと、虫のことを研究し続け、誰にもできなかった発見をしました。
校長先生も生き物が好きで、子どものころにファーブル昆虫記を読みました。笠原小学校のビオトープで生き物をつかまえているみんなの中から、ファーブルのようなすごい人が育つことを楽しみにしています。
笠原っ子も、自分で考え、確かめることを大切にしてほしいです。先生方には、ファーブルのおばあさんのように、それが当たり前の発見であっても、驚いて認めてあげてほしいです。タブレットやスマホで調べてすぐに答えを見つけるやり方は浅い学びです。自分で考え、自分で確かめる深い学びを身に付けて、ファーブルのように学べたら素晴らしいですね。自分で確かめて、自分で学ぶと、勉強が楽しくなります。では、2学期から新しい学びを始めていきましょう。
( 8月28日(水)2学期始業式 校長の話)
ジャン・アンリ・ファーブルは、1823年生まれですから、今から200年ほど前に生まれました。貧乏な家庭に育ちましたが、一生懸命に勉強をして18歳で小学校の先生になりました。55歳で「昆虫記」1巻を発表し、3年ごとに昆虫記を発表し続け、83歳で10巻を発表しました。
61歳のときに妻のマリーが亡くなりましたが、63歳のときに23歳の女性と結婚しました。きっと魅力のある人だったのでしょう。
