クロガネモチの若い実
2025年10月1日 12時52分校舎南側のクロガネモチの木に実がついてきました。冬になると野鳥が集まってきます。
校舎南側のクロガネモチの木に実がついてきました。冬になると野鳥が集まってきます。
登校時に学校周辺をパトロールしてくれています。あいさつとお礼が元気に言えるといいです。
ありがとうございます。おかげさまで、今日も笠原小は、欠席ゼロで全員登校達成です。
笠原小学校は、三沢川の河岸段丘上にあります。第四紀の新しい地層で、褐色の砂や泥の中に丸石を含んでいます。未固結のため崩れやすいのが特徴です。
笠原小の東側や南側は平坦ではなく、起伏の多い地形です。そのため、大雨が降ると、水が集中して流れる場所があります。段丘上のくぼ地には、水が集まります。
すると、地層中の砂や泥だけが流れ出て、丸石が沈降し、陥没が起こります。学校南東部の角のくぼ地には、三角コーンが置かれていました。
場所の詳細。黄色い矢印が陥没地点
(グーグルマップの画像に加筆)
10月31日の講話に向け、笠原地区のフィールドワークを続けているところです。この場所はふだん子どもたちが通る道路ではないのですが、三輪地区の子どもたちには注意喚起をしておこうと思います。
結果について公開します。「はじめのページ」の「資料」の「学校だより」からも参照できます。
園にとって、どんぐりは重要である。
校庭のマテバシイの実が落ち始めたので、きのう教頭に伝えた。「笠原こども園に連絡してあげて。」
すぐに返事がきて、今日の午前9時30分に来校するとのこと。反応が速い。昨年は、10月の終わりにどんぐり拾いに来たので、少し遅いと感じた。今年は、落ち始めたタイミングで知らせるようにしたのだ。
職員玄関前で、きちんと並んであいさつ。1~4歳児までが来校。そら組(5歳児)は、お留守番だそうだ。
どんぐりがどんどんたまっていく。
ぼうしのかざりがすてきすぎる。
エンマコオロギを手でつかまえた。
「キリギリスつかまえた」と言ってたけど、たぶんセスジツユムシ。
植え込みの裏に入り、探検。幼児はせまくて暗い場所が好き。
広い場所も大好き。飛び出していってしまうから、保育者は大忙し。
お礼のあいさつをして水分補給をして、たっぷり1時間の活動。大満足で帰っていった。
幼児教育に関する仕事をしていた3年間は、園と小学校の先生たちを一緒に集めて行う研修を何度か担当した。そのとき、こんな質問をしたものである。「これは何ですか?」
小学校の先生は、「どんぐりじゃん」という顔をしている。
勘のいい園の保育者は、質問の意図を察している。
「おかね、ボール、おはじき・・・・」園児は、どんぐりをあらゆるものに見立てて遊ぶ。どんぐりゴマだけでなく、工作にも使う。だから園にとって重要なアイテムなのだ。
熱心な保育者は、いつどこに行けばどんな種類のどんぐりや木の実が採れるのかを熟知している。それが情報として先輩から伝えられることもある。どんぐりを長持ちさせるために、虫が入っているものを取り除き、ゆでて乾燥させることもある。小学校教員も生活科でどんぐりを使うことがあるが、ここまで徹底してやる先生を私は知らない。
本校1,2年生が今度、エコパスタジアムのビオトープに校外学習に出かける。昨年同様、クヌギ、アベマキなど丸いドングリを拾って園にプレゼントするように勧めるつもり。たかが、「どんぐり」であるが、こういう配慮を園が喜ぶことを私は経験上学んだのである。
10月31日の講演会に向け、笠原地区の地質や微地形のフィールドワークを続けているところである。
地質図で「段丘堆積層(td)」として示される部分は、実際には小規模な段丘が複雑に分布し、段丘面上に起伏を生じさせている。
三輪地区の「段丘堆積層」は、未固結の褐色の砂の層にさまざまな大きさの礫が詰まっている。礫の大きさは淘汰されていない(そろっていない)。素我神社社殿西側の崖は崩落し、樹木の根が露出している。
三輪神社北側の高さ1mほどの崖は、急な角度で崩落している。
三輪から柏木に向かう道路から見た段丘崖は、崩れないように根元がコンクリート版で土止めされている。
県道より西側には、陥没してしまったところがある。(現在は修復済み)豪雨などで、礫層中の砂の部分が流出すると、礫だけが残されて沈降し、すき間が陥没したと推定できる。
笠原小の裏手の墓地は、上位段丘である。墓地の崖には、表土が流出し、穴やすき間が見られる。
「段丘堆積層」は、第四紀の新しい地層で、あまり固まっていない。地質調査所が昭和32年に発行した「五萬分の1地質図幅説明書 見付・掛塚」によれば、「浸食を受けると縦に崩落して切り立った崖をつくりやすい」特性がある。
分かりやすいように断面図で示すと以下のようになる。
① 地層中に水分をギリギリたくわえている状態
② 限界を超えて崩落
地層の中の砂の部分だけが多量の地下水といっしょに流れ出てしまうと、礫が沈み込む。崖の部分は砂がなくなると礫が崖を転がり落ちる。 1時間当たりの雨量が50ミリを超えるような豪雨となった場合、笠原地区の崖は、崩落する可能性がある。崖から茶色い水が吹き出したら、要注意である。
笠原地区にある崖の中でも、崩落の危険が特に高い場所が、「土砂災害計画区域」に指定されている。
校歌と古事記のつながりを調べていく中で、「三輪」での娘と蛇の関係の類似に気付いた。正確な出典は不明だが、地元に伝わる昔話に「三輪神社とおもい川」がある。
https://chuen.net/mukashi/mukashi_115.html
美しい長者の娘のもとに何度も求婚に来る男がいた。名前も身分も明かさないので不審に思い、賢い娘は男の服に糸を縫い付けた。糸をたどっていくと、三輪神社にたどり着く。娘は男が神様だったことに気付くが、姿を見られた神様は、大蛇の姿で池で死んでいた。男が通ってきた川を「おもい川」と呼ぶようになった。
古事記の記述では、死んでしまうのは娘である。娘の名前は、「やまとももそびめ」であり、箸墓古墳にまつられている。
やまとももそびめのもとに来る立派な男は、夜にしか姿を見せない。どうしても姿を見たくなったひめは男にお願いした。男は朝になったら箱の中を見ろと言った。ひめが箱を開けると蛇が入っていて驚いてしまった。正体を見せて恥をかかされたと感じた神様は、三輪山に帰ってしまった。ひめは、たたりで死んでしまう。このやまともももそびめのみこと(倭迹迹日百襲姫命)が、卑弥呼のモデルだという人もいる。歴史はおもしろい。
娘のところに来る男の正体が神様(蛇)で、正体が明かされると笠原の神様は恥じて自殺し、奈良の神様は娘の方をたたりで殺してしまった。笠原の昔話の方が新しくつくられ、古事記を参考にしていると想像されるが、娘を殺さなかったことに神のやさしさを感じる。
昔話に出てくる「おもい川」は、三沢川のことだろうか? 大蛇が死んだ上池は今も残っているのだろうか?笠原の歴史に詳しい地元の方に聞いてみたい。
朝の登校指導のために、東門を出ると、お茶畑の下の方が白くなっていました。もう、お茶の花が咲いています。「チャ」は、ツバキ科の植物なので、花はサザンカによく似ています。
近くには、ランタナの花も咲いていました。