「一人だけずるい」と言われたら
2024年7月9日 12時34分例えば、他の子と同じような行動がとれず、自分勝手なことをするAさんがいたとします。「Aさんだけずるい」「自分勝手」「ぼくもAさんみたいにやりたい」と言う子には、学級担任のあなたはどう対応しますか?
こうすればよいというベストな対応はありませんが、アウトな対応とベターな対応は知っておくべきだと思います。
校訓 強い子 明るい子 考える子
学校経営方針「一人一人が輝く学校」づくり
例えば、他の子と同じような行動がとれず、自分勝手なことをするAさんがいたとします。「Aさんだけずるい」「自分勝手」「ぼくもAさんみたいにやりたい」と言う子には、学級担任のあなたはどう対応しますか?
こうすればよいというベストな対応はありませんが、アウトな対応とベターな対応は知っておくべきだと思います。
本校北側斜面の草むらの中に石碑を見つけました。
開校125周年のときのもののようです。調べてみました。
園が立てる計画は、大きな枠だけを決めて子どもにゆだねる。だから、説明が短い。
小学校が立てる計画は、ねらいから時間枠設定まで、教師が細かいことまで決めたがる。だから、説明が長い。
園の保育者は、子どもと一緒に活動を楽しみながら、子どものつぶやきや行動から、その子の学びや成長を感じようとする。
小学校の先生は、子どもの動きをコントロールしながら、事後に書かせたワークシートの情報から、その子の学びを評価しようとする。
今回の活動は、こども園が立てた計画だったので、その場でペアを作って、学校のいろいろなところを見に行くという大まかなものだった。そこがよかったと、私は思う。
後日、1年担任と年長の担任どうしで、どのように子どもを見取ったか伝え合う機会をもたせたい。
「園の担任がどのように子どもを見ているのか」を知ったとき、私はとても新鮮に感じた。子どもを見取る視界が開けた気がした。小学校教員は、文字情報から子どもを比べ、評価することに慣れすぎてしまっていることを反省した。深い子ども理解のためには、保育者の視点を知ることが必要であり、幼児教育について知ることは、自らの教育観を高めることにつながる。
今は、1学期の成績をつけたり、保護者面談のための資料を用意したりと、忙しい時期ではあるが、その子の成長の喜びを本人とともに分かち合える先生であってほしいと願う。
市教委から示された5月分の「小中学校時間外勤務の状況」では、時間外勤務時間平均も最長勤務時間も、全16校中際立って少なかった。
6月分の自校集計では、さらに状況が改善されている。常勤20名の超過勤務時間(残業)の平均は、19時間46分で、5月より3時間49分減った。45時間超は0名、教頭と教務主任の超過勤務時間はそれぞれ、29時間37分と37時間10分だった。学級担任で最も超過勤務時間が長かったのは、33時間56分だった。
本校の超過勤務時間が減った要因を分析してみた。
・6月は、教育委員会等の外部からの訪問がなかった。
・教頭と教務主任の超過勤務時間が短い。教頭は本校勤務3年目、教務主任本校勤務5年目なのも大きな要因か。
・朝の出勤時刻がゆっくりめで、一番初めに出勤する者でも午前7時15分ごろである。半数の者は午前7時30分以降に出勤する。
・生徒指導上の対応が早く、主任がどんどん動いてくれるので、問題が大きくならず、時間を取られない。
・事務、校務員、養護教諭の仕事が速くて正確。
・支援員さんたちが優秀で、担任を助けてくれている。
・休日出勤者がほぼゼロで仕事を回せている。
・働き方改革のアイデアをもっていて、校長に提案してくれる職員がいる。
・誰もメンタル的なダメージ等で体調を崩していない。
・育休代替の教員が優秀で、指導に手が掛からない。
・教頭の対応が柔らかく、職員室の雰囲気がとてもよい。
・普段から気軽に休暇を取得しやすい雰囲気がある。
ASD、LD、AD/HD。これらは発達障害の診断名の略語である。2013年にアメリカ精神医学会が作成したDSM-5というマニュアルの日本語版にもとづいて、診断が行われている。マニュアルが変われば診断名も変わる。アスペルガー症候群や高機能自閉症等の診断名が使われなくなったのは、マニュアルが更新されたからである。
ASD(自閉症スペクトラム障害)
AD/HD(注意欠如/多動性障害)
LD(限局性学習症障害)
これらの診断名の最後にはDが付く。これは、障害をあらわすDisorderの頭文字である。
前頭葉や海馬などの脳の部位の機能不全、オキシトシンやセロトニン等の分泌や再取り込みがうまく調整できないことで引き起こされる障害であると言われてきた。遺伝的な要因も強いと言われている。
いっぽうで、親からの虐待などのマルトリートメントや、愛着形成がうまくいかないことで、発達障害に似た子どもの表れが見られることがある。幼児の発達障害かどうかの判断は、専門医でも難しいそうである。
磐田市で3年間、幼児の就学支援の業務に携わった。園での様子を見に行ったり、保護者と面談を行ったりした。資料を作成して市や県の就学支援委員会の審議を行い、小学校入学時に特別支援学校や特別支援学級などにつなぐお手伝いをしてきた。公私立園だけでなく、認可外の園も含め、年間100件近くの幼児にかかわり、自分なりに分かってきたことがある。
園の保育者は、良かれと思ってその子を療育に通わせようとするが、小学校入学後のその子の姿が意外と見えていない。
小学校教員は、良かれと思ってその子を特別支援学級などに入れようとするが、中学校卒業後のその子の社会自立が意外と見えていない。
その結果、園でも小学校でも、「就学支援」が、通常学級に居られない大変な子の選別作業になりかねない。そのための手段として、知能発達検査や医療受診を勧めることになる。
磐田市就学支援委員会では、義務教育の期間に審議する児童生徒数と、園の年長児の審議数がほぼ同じだった。小学校入学時にかなりの数の、特別支援学校や特別支援学級の判断を出しているのである。
不思議なのは、園では何ともなかった、または、何とかやれていた子が、小学校入学後に就学支援の対象児となることである。小学校の特別支援コーディネーターから園に、「何で情報をあげてこなかったのか」と言われ、困惑することになる。別に隠していたわけではなく、園では問題はなかったのである。そんな事例が、年に数件あった。小1ギャップといわれるものの何割かは、小学校による環境調整の失敗ではないかと、私は思う。責任を園や保護者に求められても困るのではないだろうか。
「インクルーシブ教育」として、意識したいことが3点ある。本校の職員にも伝えていくつもりである。
・障害の有無に関係なく、すべての子が幸せに学校生活を過ごすための環境調整である。
・診断名や検査結果だけで子どもを判断せず、成育歴や愛着の形成歴に思いを寄せる。
・今、その子をどうするかだけでなく、その子の社会自立までを視野に入れて支援する。
みなさんは「おおきなかぶ」の話を知っていますね。1年生の国語の教科書にも載っています。どんなお話だったか思い出してください。おじいさんとおばあさんと孫の3人で引っ張ってもぬけないとき、どうしましたか。孫は犬をよんできました。どうせなら力持ちの大人かジャイアンを連れてくればよかったのに、なぜ、犬だったのでしょう。
校長先生は、「大きなかぶ」のお話には秘密があると思うのです。犬は孫を引っ張るだけでなく、かぶの周りの土を掘ったのかもしれません。犬はだれをよびましたか? 仲間の大きな犬ではなく、自分より小さいねこでした。犬とねこで、かぶの周りの土をほり、ぬけやすくし、その間に人間は休めたかもしれません。ねこはだれをよびましたか? 大きなねこではなく自分よりも小さいねずみです。ねずみは、力も弱いし、あなをほるのもとくいではありません。でも、じょうぶな歯でかじることができます。大きなかぶの先っぽの根っこをかみ切ってぬけやすくしたかもしれません。ねこが苦手なはずのねずみが、ねこといっしょにひっぱったところもすごいです。
なにより、かぶがぬけないときに、犬をよんできた孫のアイデアはすごいと思います。みんなも、何かうまくいかないときに、あたりまえのことをしてもダメなことがあるでしょう。新しい時代をつくっていく人は、あきらめずにいろいろなアイデアを試せる人なのです。アマゾンやアップル、フェイスブックなどの世界的に有名な会社を作った人たちは、子どものころは、勉強は苦手で、ちょっと変わったところがあったそうです。でも、大人になって大成功しました。
今は、いろいろな考え方や感じ方をもった人が、おたがいの良さを認め合うことが大切な時代です。犬をよんできた女の子に「お前何やってんの。犬なんか呼んでも役に立つわけないじゃん。」と言うようでは、よい世界になっていかないと思います。
みんなでひっぱって、かぶがぬけたというだけのお話ですが、いろいろと考えながら読むと、役に立つことが書かれていると思います。みんなが持っている力やよいところを出し合って1つのことをなしとげるということは、大人になっても役立ちます。あなたのいいところと、友達のいいところを合体させて、笠原小学校をすてきな学校にしていきましょう。
【原稿に追加】 ところで、大きなかぶをどうやって食べたと思いますか。寒い土地であるロシアの昔話ですから、かぶは、5年生が今日学習していた「てんさい」のことです。しぼって砂糖を作ったと思います。だから、おじいさんは、「あまいあまいかぶになれ」と言っていたでしょう。おおきなかぶは、おおきなてんさいなのです。
(6月21日 第2回会礼 校長の話)
前の職場では、給食がなかったので、週に1~3回は、近くの店で外食をしていました。安くてボリュームがあって、しかもおいしいので店はいつも混んでいました。揚げ物がメインの「か〇や」というひらがな3文字のお店です。(まん中の字はあえてふせておきます)
レジの奥の壁には、店是のプレートがかかっていて、こう書かれていました。「店はお客のためにある」
何を当たり前のことを今さら・・・・、と思いながら、深い意味でもあるのかと調べてみると、倉本長治の商訓五十抄の言葉だと分かりました。「店は客のためにあり 店員とともに栄える」というのが元の言葉です。
学校現場に戻ってきて、そもそも学校は何のためにあるのかと考えてみると、この言葉の大切さが身に沁みます。
学校は子どものためにあり、教員とともに伸びていく場所であるべきだと思い至りました。そんな学校をつくるためには、「インクルーシブ」の共通理解が必要だと思うのです。