校長のあたまのなか

50年前の夏休みの過ごし方

2025年8月6日 09時52分
その他

 今から50年前の昭和50年には、私は小学校3年生でした。(呆けてきたようです。訂正します。2年生でした。9/4)そのころの夏休みの過ごし方は、今とずいぶんちがっていました。

 まず、夏休みの宿題の量が、今よりもずっと多かったです。計画的にやらないと、8月の終わりに苦しむことになります。8月31日までが夏休みでした。

 夏休みに登校日がありました。それから、学校のプール開放がありました。朝は、公園に毎回集まってラジオ体操をしていました。そのあと、家に帰り、「午前10時までは友達と遊んではいけない」という(なぞの)ルールがありました。テレビでは、夏休みに合わせてアニメの再放送があり、楽しみにしていました。

 私の家では、白黒テレビからカラーテレビにかわるころで、「秘密戦隊ゴレンジャー」をカラーで見られてうれしかったのを覚えています。仮面ライダー、ウルトラマンだけでなく、特撮番組がたくさんあって、夢中で見ていました。(まさか、戦隊シリーズや仮面ライダー、ウルトラマンが、50年後も続いているとは驚く限り。)合体ロボットも次々に登場しました。インターネットで動画が見られなくても、午後6時から午後8時までは、子供向け番組がいっぱいでした。当時は録画ができなかったので、見のがさないように必死でした。テレビのチャンネル数は少なく、衛星放送(BSやCS)は、ありません。静岡県西部では、NHK2局のほかは、SBSとテレビ静岡だけでした。(電波状態がよいと、名古屋テレビ、中京テレビなどの局が映り、普段見られない番組が見られました。)

 両親が共働きでも、子どもたちだけで平気で家にいました。今のように児童クラブに預けるということはありませんでした。

 コンビニエンスストアはまだなくて、近所のだがしやにおこづかいの50円をもって出かけ、長い時間いました。消費税はありませんでしたから、30円のアイスを買って、10円でくじを引いて、10円でゲームをするのが、お決まりのパターンでした。コカ・コーラのヨーヨーブームがあって、店に外国人のヨーヨーチャンピオンが来たときは、大さわぎになりました。当時は、外国人はめずらしかったのでした。「犬のさんぽ」という技ができる子は、ヒーローでした。(私はできませんでした。)

 テレビゲームやファミコンの登場前ですから、画面を見てゲームをすることは、とても想像できなかったです。でも、「人生ゲーム」や「野球盤」などのボードゲームはありました。「オセロ」が新しく売り出されて人気がありました。

 エアコンや冷房がある場所は少なくて、どうしても暑いときには、新しくできたスーパーマーケットに入りました。夏休みには毎日気温を記入する用紙がありましたが、当時は、30℃をこえる日は少なかったように記憶しています。

 50年前の夏休みは、時間がゆったりと流れていました。やっぱり、子ども時代の夏休みっていいなと思います。笠原っ子のみなさんも、夏休みを楽しんでくださいね。