ニューヨークからの手紙 その3
2025年8月22日 09時41分楽譜を送っていただきありがとうございます。また新学期が始まりましたら、お手隙の際に伴奏譜をお送りいただけますと幸いです。
もし児童から質問があればもちろんお答えします。ゴスペルは馴染みがないかもしれませんが、有名な曲もたくさんありますし、ニューヨークや英語で生活することもなんでも質問していただければと思います。
卒業アルバムの表紙を見てその時の様子が蘇ってきました。カメラマンの方が、チーズと言ったら何か声を出してと言っていました。素直に従う子たちとそうでない面々を見て納得です(笑)
当時、笠小ランドは確かアスレチック広場かアスレチックフィールドと呼ばれていたと思います。出来たばかりで、みんな意気揚々と遊びに行きましたが、入り口にあった鉄パイプ2本でできた滑り台は、難易度別に3つ並んでいましたが、どれも非常に高くて長くて、わたしは恐る恐る一度試したっきり怖くて近づけませんでした。
写真に写っている丸太の馬みたいなものも、高くて、下にクッションみたいな気の利いたものがひいてあれば良かったのですが、そんなものはなく、落ちたら地面に真っ逆さまで、これも怖くて遊べませんでした。もっぱら坂を降りたところにある雲梯とかタイヤの飛び箱、奥の方にもうすこし安全な滑り台か何かがあったので、そこで遊んでいました。私にとってはかなり難易度の高い遊び場でした。
運動場の方だったかもしれませんが、木登りに適した木が何本かあって、ここまでは登って良いよという白いペンキが塗ってありました。
運動場の奥にジャングルジムがあり、その奥の石段を降りていくとそろばん塾があって、4年生になると毎日放課後に通っていました。いまでも計算するときに右手の指が動きますので、周りに珍しがられます。もういまはないんでしょうか。
笠原の郵便局のあたりにお習字の塾もあって、週二回通っていました。
給食もほんとうに美味しかったのを覚えています。給食のおばさん達がいて、毎日校内で作ってくれていました。
子供時代を素晴らしい環境で過ごすことができて幸運だと思います。
長くなりましたが、笠原小の皆様のご健康とご多幸をお祈りしています。
吉岡 香余