子どもにとってのよい授業
2025年6月11日 16時25分第4回職員会議 校長指示事項
令和3年から5年にかけて、私が行政の仕事で幼児教育に携わっていた時期に、全国各地で「不適切な保育」が話題になったことがありました。静岡県内でも裾野市の認可保育園で保育者3人による虐待が全国ニュースになりました。
言葉を十分にしゃべれない1歳児の担任が、不適切な保育を行っていました。保育者にとって、自分の思うとおりに子どもを動かすことは快感であり、言うことを聞かない子は不快です。言っても分からないので、別の方法で従わせようとして虐待につながります。1歳児クラスは子ども6人に対して担任が1人つきますから、小中学校の特別支援学級以上に手厚いのにです。
小学校の教室でも、「不適切な教育」が潜在的に存在しています。保育者以上に小学校の教員は、きまりやルールで子どもを動かしたいからです。学習では、どの子も同じようにできるようにしたいと思うからです。
私たちが考えるよい授業とは、指導案通りに進行し、予想通り子どもが反応して、みんなが同じようにできるようになった状態を言うのかもしれません。すばらしい指示や発問で、オーケストラの指揮者のように子どもをコントロールする授業は、教師にとって快感です。でも、あくまで教師目線でのよい授業です。指導力が高い教師とは、上手に子どもを管理できる人のことではありません。「こうあるべき」と考えるほど、教員も子どもも苦しくなります。
すべての子に学力保障の機会は設けますが、すべての子に成果としての学力を保証しなくてもよいです。努力もせず、指示にも従わない子に対して、学習成果が上がり、生活態度がよくなるようなひみつどうぐや魔法の言葉を、私たちは文部科学省からも教育委員会からも与えられていません。それができるのは、一部のスーパー教師のみで、基準にはなりません。
校長として、本校の教員に求めるのは、子ども目線でのよい授業です。思わず学びたくなる仕掛けがあり、自分たちで学んでいるという実感がもて、「もっとやりたい」と子どもが言うようならば、実現できたといえるでしょう。
まず、子どもの前に立つときは、笑顔になっているか鏡でチェックしてから教室に向かってください。子どもを従わせよう、きまりを守らせようという思いが強いと教師の表情につい出てしまいます。子どもたちは、言葉ではない微妙な表情を読み取っているのです。