校長のあたまのなか

理科教育の根底

2025年1月9日 09時51分
授業

 天竜川河口にある掛塚(現磐田市掛塚)出身、明治元年の生まれすごい生物学者が、丘 浅次郎(おか あさじろう)という人である。

 古本屋で著作を手に入れ、読んだら驚いた。大正7年(1918年)に発表された「理科教育の根底」では、今でも通用する教育の課題を、100年以上前に的確に指摘されていた。私個人の感想だが、令和になって読んだ教育関係の書籍等の中で、一番よかった。それで、本校職員にも紹介したくなった。仮名遣いが古い部分があるので、要約しながら分かりやすく伝えたいと思う。

 丘 浅次郎が指摘する「理科教育の根底」のポイントは、「研究心の養成」である。どれだけ予算をかけて機器をそろえて、理科的な知識や技能を児童に覚えさせてもだめだと訴える。以下の指摘は、今でも十分通用する。

・「研究心のないところには、決して独創的な新工夫ができるはずがない。我が国今日の教育上の急務は、研究心の養成にある。

・実物に触れさせ、実験さえさせれば、理科の教授の目的を達したと考えるのは大きな問題である。

・直に役に立つ事柄ばかり教材として、教えて覚えさせることが主になって、研究心の養成は忘れ去られている。

 では、研究心はどのように養成すればよいのかという点についてはこんなふうに述べている。

・子どもたちに自由に物を見させ、考えさせ、疑わせる。そうして、自分の力で問題解決させることでしか、研究心は養成できない。

・同じものを見ても、子どもが不思議と思う点は異なる。だから、個に応じた学習が、第一に必要な条件である。

・(教師が教え込むのではなく)子どもと共に観察、実験を行って推理し、事実からその答えを求める。

・真の理科教授は、初めから終わりまで子どもたちの頭脳を個々に自由に働くように仕向け、教師はただ、個人的に子どもの相談役となるべきである。

 丘 浅次郎は、当時の小中学校で50~60人が1つの教室に押し込まれて理科教育が行われることに反発し、10~15人の少人数指導の必要を訴えた。

 また、疑うことの重要性も説き、教師の態度に反省を求めている。

・教師の態度や教える内容によって、(子どもたちに一方的に)理解を押し付けていないか。

・当然、起こるべきであろう疑問を子どもは口に出せず、頭から押さえつけて信じるように差し向けていることはないか。

・こういうことをさせておいて、次の時間には、自由に独創的に考えさせようとしても、(子どもたちにとって)無理な注文であって、できるはずがない。

 ここからは、校長としての私見。丘 浅次郎のいう「研究心」を「探究的な学び」と置き換えれば、理科以外の教科も含め、「令和の日本型教育」で求めているものと合致する。個別最適な環境を整え、主体的に学べるようにしていくのが、私たち教師の役割であろう。優れた教師とは、教え方がうまいだけでなく、子どもの疑問にいっしょに寄り添って問題解決に導く者のことだと思う。

 45分間の中で、「効率よく教えて分からせる」のではなく、考えたくなるように仕向け、「一緒に疑問(分からないこと)を解決する」カウンセリングマインドで臨んでほしいと本校職員に願う。