昭和の鼓濤教育と令和の鼓濤教育
2025年12月19日 12時33分「鼓濤(ことう)教育」という用語は、今から52年前の昭和48年ごろに生まれた。開校百周年を迎え、当時の校長と教頭が、笠原小学校としての気概を示そうと「鼓濤教育原論 ―公立学校における長期の教育計画はいかにして可能か―」という小冊子(未完)を発刊した。(S50.7.17)
https://kasahara-e.fukuroi.ed.jp/plugin/blogs/show/17/53/4483#frame-53
昭和の「鼓濤教育」の大きな柱は2つあった。「幸福享受」と「持続の尊重」である。今でも「ウエルビーイング」(Well-being)と「持続可能な開発のための教育 ESD」(Education for Sustainable Development)に置き換えられる普遍的な内容である。
しかしながら、「鼓濤教育」の定義があいまいだったため、50年後には、人権教育やインクルーシブ教育を地域と連携して行っていくことが「鼓濤教育」であるという受け止めに変わっていた。
私は、昭和の「鼓濤教育」をもとに、現代の情勢に合わせて令和の「鼓濤教育」として再定義が必要だと考える。笠原住民と本校教職員の幸福享受のために、笠原小が長く続くような教育計画を構想するのである。
50年前の高度成長期の日本と大きく違うのは、少子高齢化が急速に進んでいることである。全国の公立小中学校数は、過去20年で約2割減となり、7600校が閉校・廃校となり、統合された。この流れと笠原地区も無縁ではない。
https://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/kyoiku/news/20250906-OYT1T50060/
令和の「鼓濤教育」は、地域とともに未来の笠原を支える人材を育てる教育である。「笠原に親しみ、笠原を自慢できる子」の育成をめざし、自然、文化、歴史、産業、防災などを題材に笠原のことを調べ、発信する。笠原の人と交流し、学びを深めていく。大人になっても笠原が好きで住み続ける子、笠原を離れても笠原に思いを寄せられる子、未来の笠原を創り支える子を小学校から育てようと思う。
笠原コミュニティーセンターや笠原連合自治会を核に、地域の力を借りながら行う「探究学習」の時間を確保していく。教員は知恵を絞り、今の笠原を知り、未来の笠原を考える学習を構想する。
例えば、5年生では笠原の茶産業を学ぶ。茶のことを知り、作り手の高齢化、地球温暖化が進んでも茶をつくり続けたほうがいいかを考える。茶の知識を高めた子は、Cha-1グランプリやふくろいT1グランプリに出場し、上位入賞をめざす。地元で茶畑にユーカリの木を植えバイオ発電を行っている企業があるから、見学をしてエネルギー問題を考える。未来の笠原のありようをイメージさせるのである。楽しい学習になりそうだ。私が担任なら、喜んでやる。