笠原の歴史
笠原小に来てから、沿革誌や学校の古い記録に目を通しています。今まで笠原小に勤めた教員、子どもたち、保護者や地域の方たちのことを知るためです。校長として1つの学校にいるのは2~3年ですが、学校には長い歴史があります。校長として、何を変え何を残すのかを判断する材料が、その学校の歴史です。
今回は、本校に残された「わんぱく広場関係書類」から、当時の様子を探ってみます。
昭和57年9月20日(月)10:00~11:00に笠原小(わんぱく広場)修祓式が袋井市教育長をはじめ関係者を招いて行われました。この時の6年生が地元に残っていれば、今年55歳になっています。

完成した遊具やアスレチックは、地域の自慢でした。17種類の遊具がありました。名前もすてきでした。①モンキーつなわたり ②ジャンボすべり台 ③タイムトンネル ④ターザンロープ ⑤キリンの首 ⑥ジャンボ平均台 ⑦にじのはし ⑧木馬 ⑨でこぼこジャンプ ⑩ゆれゆれ橋 ⑪くものす ⑫シュルシュルすべり台 ⑬まるたかいだん ⑭むかでかいだん ⑮でこぼこ坂 ⑯ドーナツかいだん ⑰ぴょんぴょん坂



地区ごとに役割分担をして、作りあげたのです。笠原の人たちの思いと力が感じられます。

利用に当たっては、やくそくごとが決められていました。

今は、一時、使用をとめていますが、復活させた「笠小ランド」を再び使えるようにするためのやくそくごとは、当時のものが参考になります。例えば、
・施設内に他の遊具(ボールなど)を持ち込まない。
・施設内に自転車などの乗り入れを禁止する。
・飲食はしない。
・降雨時、降雨直後の使用は禁止する。
つくってから40年以上たって、今はうっそうとした森に変わってしまいました。でも、自然観察の場として新しい魅力があります。活用に向けて、地域の方の力を借りながら、学校を動かしていこうと思います。
防災
業者による作業が始まったので、お話をうかがってきました。軽自動車の後ろにあるのがモニタリングポストがある場所です。プール西側の駐車場の一番奥にあります。ふだんは施錠されています。



分かったことを箇条書きにまとめます。
・ モニタリングポストは、どの学校にもあるわけではない。
・ 静岡県に70~80か所あるのではないか。
・ 10年に一度くらいの間隔で、機器を新しいものに替える。
・ 今度の機器は、微量な線量に対する感度が上がっている。
・ 停電してもデータを送信続けられるように、バッテリーを付ける。
モニタリングポストは、「静岡県環境放射線監視センター」が設置していました。
http://www.hoshasen.pref.shizuoka.jp/radiation/home.html
研修
令和8年度の学校経営構想をつくり始めている。先日、笠原地区連合自治会長が来校し、校長室で歓談した。「袋井市内、どこも同じ内容を学ばせるのではなく、笠原の子には笠原のことを学ばせてほしい。地域として学校にできることがあれば言ってもらいたい。」と言われた。学校の応援団としての地域の力添えは、本当にうれしい。
全国には、特色あるすばらしい実践を行っている小学校がたくさんある。今、その中で気になっているのが、長野県佐久市にある私立の「さやか星小学校」である。学校の理念に共感する。うまいこと言うなあ。真似したいのが本心である。見学したいくらいだ。
学びは教師が一方的に提供するものではなく、子ども・保護者・地域の方・専門家など、関わるすべての人がともに学びをつくる“学びクリエイター”です。
- 子どもの挑戦を支え、学校が楽しくなる環境を整える保護者
- 地域で学校の歴史を繋ぎ、経験や技術を共有してくれる住民の方々
- 行動分析学の専門家
- そして学びを創り出す子ども自身
https://matsumoto.keizai.biz/release/506825/
在校生の8割以上が県外からの教育移住で、昨年開校以来、「不登校ゼロ・保健室登校ゼロ」を継続している。教育移住が多いのは、閉校した青沼小学校の校舎を引き継いで開校したからである。地元の子は統合された臼田小学校に通うようだ。
PBSや小規模校の強みを生かした個別指導は、笠原小の教育とも重なる。 笠原小も「保健室登校ゼロ・不登校ゼロ」なのだから、まんざらでもない。このまま児童数が減少したときは、外部からの受け入れも生き残りの1つのアイデアかもしれない。私立だと入学金や授業料を含めけっこう費用がかさむので、公立学校でさやか星小学校と同等の教育を提供できることは強みになると思う。
https://re.hoshinomachi.jp/blog/post/sayakaboshi
防災
大きくなりすぎたマツの頭をとめてもらいました。これ以上高くなることはありません。学校の周囲の斜面に生えている樹木は、大きくなりすぎると傾いてきます。地盤が固くないので、大雨のあと、根ごと地面が滑って幹が傾くのです。

その他
北海道美唄市の小学校にあった二宮金次郎像が盗まれたというニュースを見て驚いた。今朝、出勤して笠原小の像があることを確認した。

警察は窃盗の疑いで男2人を逮捕したという。男らは金属買い取り業者に売り渡したとのこと。
そういえば、県の校長会で掛川市の商工会議所を訪れたときに、大人の二宮金次郎像を見て驚いたことがあった。実在した本人は、身長180cmごえ、体重90kgごえの巨漢であったという。江戸時代末期の生まれとしては、かなり目立つ存在だったろう。学者肌の小柄な方を想像していたがまるでちがっていた。
防災
12月8日(月)の午後11時15分に、青森県東方沖でマグニチュード7.6、最大震度6強の地震が発生した。その後、気象庁から「北海道・三陸沖後発地震情報」が出され、警戒が続いている。
https://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/jishin/nceq/info_guide.html
青森県の学校で何が起きていたのかを調べてみると、139校が休校となり、26校が避難所となった。7校で窓ガラスの破損等の被害があった。中でも青森県七戸町立七戸中学校では、校舎の窓ガラス31枚も割れたそうだ。また、断水のため給食センターが稼働せず、給食が提供できなかった。
静岡県の遠州灘沖で、同様の地震が起きたときのことを危機管理マニュアルをもとに想定してみる。夜間であろうと震度4以上の地震が発生すれば、校長、教頭、教務主任が笠原小に参集する。3人で校舎の損壊状況、校庭の地割れや土砂災害警戒区域の状態等を確認したうえで、市教委に報告し、学校に徹夜で居続けることになる。(寝袋持参で車中泊だろうか)その他の職員は、自宅待機である。
夜間に起きた地震が震度5強以上だったならば、朝が来ても休校の措置が取られる可能性がある。管理職の携帯端末から保護者、教職員等に連絡がいく。教職員は引き続き自宅待機となる。安全が確認できた時点で、教職員を参集し、児童の登校を促すことになる。
笠原地区は、笠原コミュニティーセンターが第1次避難所として開設される。建物の被害が大きかったり、大津波警報が発令されたりすれば、小学校を第2次避難所として開設することになる。市の職員と協力して対応を進めることになりそうだ。
本校は高台にあるので津波被害の心配はないが、建物の基礎等に亀裂が入れば、安全が確認できるまで立ち入りを制限するだろう。停電や断水で休校にする場合もありうる。給食センターが稼働していなくても、児童が備蓄している非常食で1回分はしのげる。
思いを巡らしてみたが、午後11時15分に、遠州灘沖でマグニチュード7.6、最大震度6強の地震が発生したと仮定すると、次の日を通常通り、学校を開くことは難しいと感じる。管理職としての危機管理上のシミュレーションを行ってみた。
防災
クズが生い茂っていた西側の斜面を校務員さんが手入れしてくれました。土砂災害警戒区域であり、最大傾斜度が30度以上なので、整備には危険が伴います。聞けば、本校の校務員は、登山靴用のアイゼンを付けて、草刈りを行ったそうである。


崖の下には民家が並んでいるので、荒れさせておくわけにもいかず、手入れが必要になります。崖の一番上まで防草シートで覆ってもらうように市にお願いしていきたいと考えています。