ユリの花をいただきました
2025年6月12日 08時26分地域の方からりっぱなユリの花をいただきました。事務室前に飾ってあります。いい香りが廊下にただよっています。笠原地区の青少年健全育成会長で、児童の祖父でもある及川さんからです。ありがとうございました。
地域の方からりっぱなユリの花をいただきました。事務室前に飾ってあります。いい香りが廊下にただよっています。笠原地区の青少年健全育成会長で、児童の祖父でもある及川さんからです。ありがとうございました。
第4回職員会議 校長指示事項
令和3年から5年にかけて、私が行政の仕事で幼児教育に携わっていた時期に、全国各地で「不適切な保育」が話題になったことがありました。静岡県内でも裾野市の認可保育園で保育者3人による虐待が全国ニュースになりました。
言葉を十分にしゃべれない1歳児の担任が、不適切な保育を行っていました。保育者にとって、自分の思うとおりに子どもを動かすことは快感であり、言うことを聞かない子は不快です。言っても分からないので、別の方法で従わせようとして虐待につながります。1歳児クラスは子ども6人に対して担任が1人つきますから、小中学校の特別支援学級以上に手厚いのにです。
小学校の教室でも、「不適切な教育」が潜在的に存在しています。保育者以上に小学校の教員は、きまりやルールで子どもを動かしたいからです。学習では、どの子も同じようにできるようにしたいと思うからです。
私たちが考えるよい授業とは、指導案通りに進行し、予想通り子どもが反応して、みんなが同じようにできるようになった状態を言うのかもしれません。すばらしい指示や発問で、オーケストラの指揮者のように子どもをコントロールする授業は、教師にとって快感です。でも、あくまで教師目線でのよい授業です。指導力が高い教師とは、上手に子どもを管理できる人のことではありません。「こうあるべき」と考えるほど、教員も子どもも苦しくなります。
すべての子に学力保障の機会は設けますが、すべての子に成果としての学力を保証しなくてもよいです。努力もせず、指示にも従わない子に対して、学習成果が上がり、生活態度がよくなるようなひみつどうぐや魔法の言葉を、私たちは文部科学省からも教育委員会からも与えられていません。それができるのは、一部のスーパー教師のみで、基準にはなりません。
校長として、本校の教員に求めるのは、子ども目線でのよい授業です。思わず学びたくなる仕掛けがあり、自分たちで学んでいるという実感がもて、「もっとやりたい」と子どもが言うようならば、実現できたといえるでしょう。
まず、子どもの前に立つときは、笑顔になっているか鏡でチェックしてから教室に向かってください。子どもを従わせよう、きまりを守らせようという思いが強いと教師の表情につい出てしまいます。子どもたちは、言葉ではない微妙な表情を読み取っているのです。
本校教員の皆様へ
市教委から、4月分の(市内16小中学校の超過勤務状況)報告が来ましたので添付します。(5月分はまだでした。) ※ 市教委資料のためホームページには添付しません。
新しく本校に赴任したり、異動はなくても新たな校務分掌で忙しくなったりした4月でしたが、他校と比較しても依然として、圧倒的に短い超過勤務時間平均を維持できていました。今後とも、働きやすくやりがいのある職場づくりをしていきますので、年度途中であっても「やめる・かえる・へらす」ものがあれば、ぜひ提案してください。異動のあった方も早く笠原スタイルに慣れて、無理のない範囲での勤務をお願いします。子どものために長く働く教師が、よい教師なのではありません。次に続く若手が安心して働けるようにすることが、長い目で見て教員を増やすことにつながります。他校の教員からも笠原小の職場環境がうらやましがられるようにしたいです。
管理職の役目は、みなさんのキャリア形成の中で、経験値と業務の遂行能力を上げて次の学校の校長に渡すことだと思っています。校長として、あまり細かい指示を出しませんので、小規模な本校でのびのびとやりたいことを試し、教員の仕事を楽しんでください。教員の満足度が上がれば、子どもの満足度も上がるはずです。また、管理職の役目は、教員の盾になることだと思いますので、心配なことがあれば早めに相談してください。
職員会議で話そうと思いましたが、長くなるので(ミライム)メッセージで伝えます。
体育で留守の間に、3年生の教室の背面黒板にしかけをしておきました。どんな反応をするのか楽しみ。
すてきなぬりえができたら、ホームページで紹介します。
6月9日(月) 会礼 校長の話
笠原小学校の先生たちが今、一番がんばっていることは、学校を楽しくすることです。そのために、学習のやり方を工夫したり、一人一人に寄りそって話を聞いたりしています。笠原っ子のみんなが、学校に来るのが楽しいと強く思えるようになってほしいのです。
でも、先生たちだけががんばっていれば、学校は楽しくなるでしょうか。私は、笠原っ子もいっしょにがんばらないと、楽しい学校にならないと思います。だから、今日はみんなにお願いしたいことを話します。
学校が楽しくなるには、まず、学校でいやなことが起きないようにしたいです。いじめや仲間外れや悪口があったら、学校は楽しくなりません。
幼稚園、保育園、こども園の先生たちが、2歳や3歳の子たちに園での生活が楽しくなるように教えてくれた3つの言葉を覚えていますか。
1つめは、「やめて」です。お友達からいやなことをされたときに伝える言葉です。相手が嫌がっていたら、やめてあげないと、楽しくなくなります。
2つめは、「いれて」です。いっしょに遊びたいときに伝える言葉です。園の子たちは、「いいよ」と返事をします。仲間外れやいじめがあると、楽しくなくなります。
3つめは、「ごめんね」です。相手が嫌がることをしてしまったときに謝る言葉です。「ごめんね」と言われたら、園の子たちは「いいよ」とか「はいね」と答えます。自分が悪かったことを認め、相手を許してあげることを園の先生は丁寧に教えてくれたはずです。「自分は悪くない」と意地を張っていると、相手は楽しくなくなります。
小学校でも同じです。「やめて」「いれて」「ごめんね」は大切な言葉です。
あなたは、友達がよくないことをしていたら、注意しますか?(手を挙げさせる)
でも、注意の仕方がよくないと、相手を怒らせてしまい、注意してもやめてくれません。注意するのは、笠原小の先生に任せてください。相手が嫌なことをしていたら、「やめて」と伝えます。それでもやめてくれないときは、笠原小の先生に相談しましょう。担任の先生でなくてもいいです。先生たちが何とかします。
今から2500年より前の大昔の偉い人が、みんなが幸せになるためのやり方を伝えてくれています。孔子という人の言葉です。「己の欲せざるところは 人に施すことなかれ」意味は、学年ごとに担任の先生が伝えてあげてください。
楽しい学校になったかどうかを、6月30日に笠原っ子にアンケートで聞きます。「やめて」「いれて」「ごめんね」とお友達に言われたら、「いいよ」と答えて、子どもたちの力で楽しい学校をつくってください。これで、私の話を終わります。
学校に隣接した森は、20年以上放置されたため、荒れていました。
昨年の春には、つる植物が樹木に巻き付き、マント群落になって、森の奥が見通せない状態でした。つるを根元から切って枯らせ、樹木の枝はらいや間伐を続けました。
昨年度の秋からは、横枝や徒長枝の剪定を行い。林床を明るくするようにしてきました。
昨日と今日で枝が重なっている部分をチェーンソーや手のこで切っていき、地面に日が当たる部分ができました。切った枝は、山にして積んであります。
斜面は崩れやすく、やわらかいので、樹木が斜めに生えているところがいくつかあります。
里山は、適度に人の手が入ることで良好な自然環境が維持されます。子どもたちの遊び場や自然観察の場として、整備を続けていこうと思います。
地域の方で、キャンプが好きな方がいれば、薪になる木がいくらでもありますので、取っていってください。ついでに枝はらいや伐採、草刈りのお手伝いをしていただければ助かります。
午前中に笠原こども園を訪問した。1年生と年長児の交流があったからだ。園の保育者と小学校の教諭が一緒に活動するのを見るのは、興味深い。
しっかり話を聞けない子や、並ばない子がいると、先に近寄っていくのは、ほとんど小学校教諭である。許せないし、指導したくなってしまう性分なのである。上の画像で真ん中にいるのは、小学校教諭である。
いっぽう、園の保育者は、子どもの安全に関するときは、動きが速い。そうでなければ、見守っていることが多い。上の画像でも、並ばず、リレーに加わらない子(タイヤの上の3人)がいても、近くに寄りそっている。無理に走らせようとはしない。下の画像でバトンパスを見届けている真ん中の大人は、園の保育者である。
リレーに加わらなかった子は、自分のペースで司会や実況中継を始め、気が向けば集団にひょこっと入ってくる。ほかの子の動きを見ていないわけではないのだ。園ではこういう子が許され、居場所が確保されているから心理的な安全性が高まるのだと思う。
小学校の体育ではどうだろうか。気が向かなければ走らず、集団行動ができず、自分勝手に実況中継をする子は、教員から注意を受けるはずである。困った子として、就学支援の対象にあがるのも時間の問題である。
子どもにしてみれば、園のときには大目に見て許されていたことが、小学校では怒られる材料となる。混乱し、自己肯定感が下がり、二次障害を発症する。「学校は楽しくない」と。
小学校1年の担任は、園の保育者から大いに学ぶべきである。架け橋期がうまくいくコツは、プログラムの内容よりも、教員の心の持ちようである。
車の運転に例えれば、小学校教諭は、早いタイミングでブレーキをよく踏む。園の保育者は、エンジンブレーキをうまく使いながら、ブレーキをあまり踏まないで運転する。下り坂が続く運転では、車に勢いがついている。ブレーキを踏み続ければ「フェード現象」が起き、加熱により制動力が低下する。
小学校教諭は、しゃべりすぎ、指導しすぎて子どもの主体性や自己肯定感を下げてしまう危険性があることを自覚すべきだ。園を訪問して保育者の支援や指導の仕方を見るのが勉強になる。
今日、リレーに加わらなかった子は、来年度本校に入学してくる。そのとき、その子が混乱しないような指導体制を整えることが、架け橋期には重要なことなのだ。園の保育者のようなブレーキの踏み方を小学校教諭にも覚えてもらい、切り替えができるようにすることが、インクルーシブ教育につながる。
学校近くの茶畑では、二番茶の芽が伸びてきました。小笠山の尾根筋の緑の色が濃くなってきました。