その他
笠原の歴史
8月9日に返事がきていたのですが、私自身、夏休みをとっていた関係で確認が遅れました。うれしい内容の返事でした。本人の許可を得たうえで、公開します。
校長先生からお返事をいただけるとは大変光栄です。
歌詞を確認できました。早速送っていただき、ありがとうございます。改めて、美しい歌詞ですね。
当時は、先生方も簡潔に意味の説明はしてくださいましたが、難しいので、全部わからなくて大丈夫だよという感じだったのを記憶しています。加えて、拍子が4から2に頻繁に変わり、指揮は確か音楽の先生がされていたように思いますが、歌詞も音楽形態も大変高度なものだと思います。楽譜を探してくださったとの事、ありがとうございます。実は母に楽譜がまだあるか聞いたのですが、もうないとの事、
もし手に入ったらまた弾いてみたいです。送っていただけたら大変感激です。
はい、私でお役に立てれば、どんな形でもご紹介ください。
名前もどうぞ宜しければお使いください。
私は2007年に、ゴスペルアーティストを目指して渡米いたしました。
以来、幸運にも複数のゴスペルアルバムのレコーディングに参加させてもらったり、教会の礼拝、コンサートなどで賛美させてもらい、
結婚して定着した今でも生活の一部としてゴスペルがあります。
たまに日本のアーティストがニューヨークでレコーディングするときにバックグラウンドボーカルをさせてもらう時があります。
これは2023年に、シンガーソングライターのさかいゆう氏がNYでライブレコーディングをした時の動画です。
後ろで歌っています。
一方、海外あるあるなのですが、外から見ると祖国日本がとても美しく見えてきます。5月に里帰りした時は主人を連れて笠原小の坂を登りました(平日で校門は閉まっておりました)。
笠原小では、時代もありますが、情操教育をしっかりやって頂いたと思います。担任は山本栄吉先生で、クラスでは24人の名字ではなく名前をさん付けで呼ぶようにと教えられ、中学に上がったときにまわりにからかわれてみんなやめてしまうまでは、クラスメイトが親密で兄弟姉妹のような感覚だったことを覚えています。
長くなってしまいましたが、笠原小と教職員の皆様、児童たち、地域一帯の変わらぬ自然と平和を遠い地よりお祈り申し上げております。
吉岡香余
さっそく、お返事を送りました。
夏休みをとっておりまして、返事が遅れてしまい申し訳ありません。子どもたちが音楽の時間に使う歌集に校歌の楽譜がありましたので、デジタルカメラで撮って添付します。きちんとした伴奏譜は、音楽主任が出勤したら問い合わせてみます。
吉岡様のこと、笠原小のホームページで何回かに分けて紹介させていただきます。子どもたちからの質問や問い合わせがあれば、お答えいただけると嬉しいです。今、6年生は、キャリア教育といって、自分が興味がある職業について調べています。また、昔と違って、英語を教科として学んでいるので、海外での仕事に興味をもっている子もいると思います。
ところで、吉岡様が卒業アルバムの学級写真をとった笠小ランド(わんぱく広場)ですが30年ほど放置されて、今はうっそうとした森というか藪のようになっています。昨年度から少しずつ整備して、以前のように遊び場として復活させようと考えています。当時のことで覚えていることがあれば教えてください。
暑い中ですが、ご自愛ください。
笠原小学校長 岡本正彦


笠原の歴史
8月7日に学校にこんな電子メールが届きました。まずは、差出人は伏せておきます。
ご担当者様
こんにちは。私は昭和63年度の卒業生です。
現在は米国ニューヨークに住んでおり、改めて日本の歴史を外側から学ぶうちに、当時の笠原小の校歌がとても素晴らしかったことに思い至りました。国旗校旗掲揚の仕方もしっかり教えていただき、それは48歳になった今も忘れずに覚えております。
改めてうろ覚えの校歌の歌詞を知りたいと思い検索しましたが、見つけたPDFでは画素が粗く、解読できませんでした。
多分、古事記を元にして作詞されているのではと思います。
できれば、作詞家のお名前と、歌詞を3番まで全部、確認できる資料を頂きたいのですが可能でしょうか。
確か体育館に歌詞があったと思うのですが、そういうものを写真に撮って送ってくださっても構いません。
どうぞよろしくお取り計らいの程お願い申し上げます。
笠原小昭和63年度卒業生
■■ ■■
追伸 ちなみに私は当時校歌の伴奏をしておりました。今でも最初の方は弾けると思います。
8月8日に以下のように返信しました。
■■ ■■ 様
メールありがとうございます。校長の岡本です。
学校に残されていた昭和63年度の卒業アルバムで、6年2組のあなたを確認しました。本校の卒業生が海外で活躍していることを知り、うれしく思います。
校歌の件ですが、本校ホームページの150周年記念誌のアドレスを付けておきますので、そこから確認してください。2ページ目にあります。
https://kasahara-e.fukuroi.ed.jp/file/5895
楽譜が必要であれば、またお知らせください。今日は出勤している職員が少ないため、楽譜を見つけられませんでした。
子どもたちの励みにもなると思うので、お名前を伏せて■■さんのことを本校の子どもたちに紹介してもよろしいでしょうか。また、本校のホームページでも、海外にいる卒業生から校歌についての問い合わせがあったことを載せてもよろしいでしょうか。
私も本校の校歌の3番の歌詞は勇ましいなあとは思っていましたが、古事記と関係があるとは知りませんでした。自分でも調べてみたいと思います。
今後も■■様の御活躍を祈念いたしております。お問い合わせありがとうございました。
笠原小学校長 岡本正彦
本校校歌と古事記との関係は、初耳でしたので、地元の歴史に詳しい方に聞いてみようと思います。私も社会科が専門なので、自分でも調べてみようと思います。関係がありそうなのは、「可美が丘」あたりかなと推測しています。
その他
今から50年前の昭和50年には、私は小学校3年生でした。(呆けてきたようです。訂正します。2年生でした。9/4)そのころの夏休みの過ごし方は、今とずいぶんちがっていました。
まず、夏休みの宿題の量が、今よりもずっと多かったです。計画的にやらないと、8月の終わりに苦しむことになります。8月31日までが夏休みでした。
夏休みに登校日がありました。それから、学校のプール開放がありました。朝は、公園に毎回集まってラジオ体操をしていました。そのあと、家に帰り、「午前10時までは友達と遊んではいけない」という(なぞの)ルールがありました。テレビでは、夏休みに合わせてアニメの再放送があり、楽しみにしていました。
私の家では、白黒テレビからカラーテレビにかわるころで、「秘密戦隊ゴレンジャー」をカラーで見られてうれしかったのを覚えています。仮面ライダー、ウルトラマンだけでなく、特撮番組がたくさんあって、夢中で見ていました。(まさか、戦隊シリーズや仮面ライダー、ウルトラマンが、50年後も続いているとは驚く限り。)合体ロボットも次々に登場しました。インターネットで動画が見られなくても、午後6時から午後8時までは、子供向け番組がいっぱいでした。当時は録画ができなかったので、見のがさないように必死でした。テレビのチャンネル数は少なく、衛星放送(BSやCS)は、ありません。静岡県西部では、NHK2局のほかは、SBSとテレビ静岡だけでした。(電波状態がよいと、名古屋テレビ、中京テレビなどの局が映り、普段見られない番組が見られました。)
両親が共働きでも、子どもたちだけで平気で家にいました。今のように児童クラブに預けるということはありませんでした。
コンビニエンスストアはまだなくて、近所のだがしやにおこづかいの50円をもって出かけ、長い時間いました。消費税はありませんでしたから、30円のアイスを買って、10円でくじを引いて、10円でゲームをするのが、お決まりのパターンでした。コカ・コーラのヨーヨーブームがあって、店に外国人のヨーヨーチャンピオンが来たときは、大さわぎになりました。当時は、外国人はめずらしかったのでした。「犬のさんぽ」という技ができる子は、ヒーローでした。(私はできませんでした。)
テレビゲームやファミコンの登場前ですから、画面を見てゲームをすることは、とても想像できなかったです。でも、「人生ゲーム」や「野球盤」などのボードゲームはありました。「オセロ」が新しく売り出されて人気がありました。
エアコンや冷房がある場所は少なくて、どうしても暑いときには、新しくできたスーパーマーケットに入りました。夏休みには毎日気温を記入する用紙がありましたが、当時は、30℃をこえる日は少なかったように記憶しています。
50年前の夏休みは、時間がゆったりと流れていました。やっぱり、子ども時代の夏休みっていいなと思います。笠原っ子のみなさんも、夏休みを楽しんでくださいね。
私が4年生の時まで通っていたのは、浜松市立遠州浜小学校でした。団地の中の児童数1000人以上の大きな学校だったのですが、平成22年に閉校してしまいました。
働き方改革
7月分の自校集計では、常勤19名の超過勤務時間(残業)の平均は、19時間30分だった。前月は28時間38分だったので、9時間8分の大幅減である。
今月、45時間超は1名、教頭と教務主任の超過勤務時間はそれぞれ、58時間42分と31時間27分だった。学級担任で最も超過勤務時間が長かったのは、33時間16分だった。
学期末には、成績処理、保護者面談等があって忙しかったが、7月18日の終業式以降は、定時退庁ができてきているので、超過勤務削減につながった。
ただ、1年目の教頭職は激務なので、できるだけサポートして負担軽減につなげたい。
研修
6月末に前期分の教育評価アンケートを児童、保護者、教員が行いました。私が特に気にしていた項目は「学校には信頼できる先生がいる」です。今回のアンケート結果は以下のとおりでした。
まずは、児童の結果。

次は、保護者の結果。

「そう思う」と答える児童と保護者に大きな差があります。
校長から教員には、「担任以外の先生からわが子のよいところをほめられたらうれしいと思う。」「教員全体で118名の子を見ていけるのが本校の強みだ。」「大きな学校の1学年分の人数が、笠原小の全校児童数くらいだ。子どもの顔と名前を覚えよう。」と、折に触れて話してきましたが、至らない部分があったことを反省しています。夏休みの研修では、教員全体でアンケート結果の分析をしました。
全国で教員の不祥事が報道される中、本校では、保護者の皆様から信頼できる先生がいるという項目に「そう思う」と、評価していただけるような取り組みを進めてまいります。
環境教育
貯水池の奥に背の高い草が茂っていました。遠くから葉を見たら大麻のように見えたので、ギョッとしました。
近寄ってみると、大振りの真っ赤な花が咲いていました。花びらが細いハイビスカスの花のような、熱帯を想わせる見慣れない花です。(私は今までに見たことがありませんでした。)ヤバい草でないことを祈りながら、調べてみたら、「モミジアオイ」という外来種の草でした。園芸用としては、一般的な花でした。どこから種子が入り込んだのか不思議です。周囲には、同種の花は咲いていません。



https://mikawanoyasou.org/data/momijiaoi.htm