校長のあたまのなか

昭和レトロだが 最先端だった授業

2024年5月27日 09時06分
授業

 今から40年近い昔の話です。

 社会科のものすごい授業を参観して衝撃を受けたことがありました。初めのあいさつの後は、教師はしゃべらず、ひたすら何かメモを取っているのです。指名すらしません。発問もありません。ときどき誰かのそばに近寄って小声で話しかけるだけです。板書も最小限で、先生は黒板の前にいません。放っておかれているような授業なのに、4年生とは思えないほど活発に話し合いが行われていました。すごいと思うよりも「なんじゃこりゃ」というのが本音でした。

 静岡市立安東小学校の築地久子先生の授業には、当時、全国から参観者がありました。

 静岡大学教育学部に在籍していた私は、学部生の時に1度、院生の時に2度、築地先生の授業を参観しました。院生の時には、講義の一環として、馬居政幸先生に連れられて、築地先生から直接お話を伺う機会がありました。安東小学校から異動されたあとも、変わらず築地スタイルの授業を続けておられました。

 教師になった私は、40歳になるまで、その方を目標に座席表指導案やカルテなどを形だけ真似をして教材研究をし、何度も挫折しました。たまに、楽しく子どもが活発に発言する授業を行っても、テストをやると思ったようにできていなくてがっかりとしたことがありました。でも、築地学級は基礎学力も、子どもたちのモチベーションもとても高かったのです。

 「主体的で、対話的で、深い学び」というのは、まさに築地先生の授業のことをいうのだと思います。主体的とは、放任ではありません。築地先生からは、子どもへの「今のままでいいの?」「やるかやらないか」という厳しい指導の仕方も学びました。

 今更ながらにして、自分には何が足りなかったのかが分かるような気がします。それは、幼児教育の視点が身に付いたからだと思います。