社会科 不平等条約の改正
2025年1月15日 13時51分6年生が、個別に学習を進めていました。
校訓 強い子 明るい子 考える子
学校経営方針「一人一人が輝く学校」づくり
6年生が、個別に学習を進めていました。
江戸時代の終わりから明治時代のはじめにかけて、日本が外国と結んだ不平等条約では、治外法権と関税自主権がないことが問題でした。条約というのは、国と国との約束ですから、そう簡単に変えることができません。
日本は野蛮な国だと思われ、外国人が日本で犯罪をおかしても、日本の法律で裁判をすることができませんでした。治外法権と言います。日本は文明国であることを示すために、髪形や服装を改め、洋風なおしゃれな建物の中で、ダンスパーティーを開き、外国にアピールしました。20年くらいかかって、治外法権はなくなりました。
しかし、関税自主権を自分の国に取りもどすのは、かなり難しいことでした。アメリカのトランプ次期大統領は、「関税」を交渉の材料に使うことが上手です。関税を上げることで、自分の国がもうかるようにすることができます。
当時の日本は、関税を自分の国で決められなかったので、40年くらいかなり損をし続けたはずです。黄金や銀などの富が海外にかなり流失したでしょう。
すごい借金をして、軍艦や兵器をそろえて、日露戦争に勝って、やっと関税自主権を自分の国に取り戻しました。ペリーが黒船でやって来てから、56年もかけてねばり強く交渉し、日本の立場を強くしていったのです。