研修
「校長として、笠原小学校をどんな学校にしていきたいのか?」と問われたときに、学校経営方針の中で「楽しい学校」「令和の鼓濤教育として地域学習の充実」を挙げました。校内研修では、窓口教科として生活科と総合的な学習の時間を掲げ、地域のひと・もの・ことを主体的に探究する方向付けを行いました。
来年度の教育課程編成に向け、もう一歩踏み込んで、どんな学校にしたいかという具体例を示しながら、笠原小学校の向かう方向を探っていきたいと思います。
地域学習をどんなふうに進め、探究していくかについては、「総合的な学習の時間」や「生活科」の理想像が自分なりにあります。
1つ目は、高島小学校の「白紙」です。長野県諏訪市にあった小学校ですが、今は統合されてしまっています。学生時代、研究のために4年間お世話になった霧ヶ峰の宿の娘さんが通っていた小学校でした。40年以上前から画期的な「白紙」という単元で子ども主体の探究学習を行っていました。地域のひと・もの・ことを最大限に活用し、ダイナミックな活動が展開されていて驚いたのを覚えています。宿の主人は、「白紙」の独自性について話をしてくれました。
2つ目は、同じく長野県の伊那小学校です。今でも独自性を保ち、子ども主体の探究活動を続けています。映画「夢見る小学校」の舞台になった小学校です。昔から通知表がない小学校でもあります。
ともに「信州教育」という風土の中で、子ども主体の探究学習が、公立校で長年続けられてきたことに驚かされるとともに、勇気づけられます。高島小や伊那小が行ってきたような「子ども主体の探究学習」を笠原地区でも行いたいのです。それが「令和の鼓濤教育」につながります。これらの小学校のイメージが共有できないと、校長が目指す先が不鮮明になってしまいます。
「夢見る小学校」の映画を観るか、伊那小を訪れるか(毎年2月の第1土曜日に研究発表会がある)してもらえるといいのですが・・・
本校はグランドデザインで「子ども起点の教育」を謳っていますが、子ども起点で教師主導の一斉教育では物足りないのです。子ども起点で子ども主体の教育実現のために、次年度の教育課程編成に向け夢を語れる小学校にしていきたいです。
研修
私が教育学部の学生だったころ、鹿島和夫さん・灰谷健次郎さんの「1年1組 せんせいあのね」という本が話題になって、読んだことがありました。モノクロの写真もすばらしく、「教員になったら子どもたちとたくさん話をしよう」と、夢に胸をふくらませていました。今、読んでもすてきな本です。

最近、書店で「復刻版が出たのか。なつかしい」と手に取ってみると、ヨシタケシンスケさんが挿絵をつけた本でした。この本が、最高におもしろく、年甲斐もなく立ち読みで完読してしまいました。

パート2も出ているので、連休中に書店で購入しようと思います。
本校の教員にも、子どもたちといっぱい話をしてほしいと願っています。学習や生活の話じゃなくていいんです。先生の何気ない話やくだらない話の方が記憶に残りますから。子どもたちの話もいっぱい聞いてあげてほしいです。くれぐれも、「先生は忙しい」オーラを出さないようにしましょう。そういう先生には、子どもたちは近寄ってきません。「せんせいあのね」と言ってもらえる先生は、隙がある先生なのです。
私も20代のときに担任した教え子から、「あのとき、こんな話したよね。」とあとから言われて、恥ずかしくなったことがあります。初任校で初めて6年生を担任したときの教え子たちが、久しぶりに連絡をくれて、来年に同窓会を開くそうです。こういうつながりがあるのが、教師という仕事のだいご味でありすばらしさだと感じます。
笠原小の図書室を探してみるとありました。1984年5月発行で第34刷の本ですから、41年前に購入した本です。


子どもたちの本音いっぱいの詩と豊かな表情の写真。こんなこと言ったら、先生にしかられるという遠慮は一切ありません。ユーモアいっぱいの1年生の思いが詰まっています。パラパラとめくりながら、いくつか選んで紹介します。
せんせいおしえて
みぞかみ さえこ
せんせい
なんでにんげんだけ
おお金もちとかびんぼうが
きまっとんかおしえて
昭和なら許されても今ならアウトな内容もそのまま載ってます。
ちゅう
みぞかみ さえこ
せんせい
きょうかえるとき
ちゅうをしたやろ
おぼえとくで
さえこ あのとき
せんせいがすきになりました
そのとき
むねがどきどきしました

園と小学校との接続
新聞発表に驚いた。お隣の掛川市教育委員会は、2026年度から全市立小学校の1~3年生の通知表を廃止、2027年度からは4年生まで廃止する方向で検討を進めているそうである。
岐阜県美濃市に続いて、2つめの事例だ。美濃市には5つしか小学校がないが、掛川市には22の小学校があり、規模が大きい。全国的なニュースになるだろう。過去には神奈川県茅ヶ崎市立香川小学校のように通知表を廃止した小学校があったが、現在は元に戻り通知表を作成していると聞く。学校単位では保護者への説明や周知が大変なので、市で一斉廃止にしたのだろう。昔のコントのネタで言えば「赤信号みんなで渡れば怖くない」(ツービート)といったところか。
通知表の有無や形式は、文科省や市教委からの指示ではなく、校長判断で決められる。小学校低学年の通知表の作成の有無について、今後議論が高まっていくことに注視していきたい。
幼児教育に携わった経験からは、園と小学校で子ども観や評価について、差があると感じている。
年長(5歳児)は、園のときは7~8割が肯定的な評価を受ける。
1年生になると、3段階評価で最上のA評価が付くのはどんなに多くても5割を超えることはない。1年生に対して担任は、絶対評価といえども、Aと自信をもってたくさんは付けられない。ある子どもが、一瞬だけ最高にがんばっても学期末にAは付けられない。だいたい1年生では、3段階での優劣の判断が難しいのだ。
架け橋期の教育を円滑に進めるためには、プログラムや通知表の検討よりも、教員(特に1年担任)の発想転換が重要だと思う。園の保育者の子ども観や評価の方法に学ぶ時期が来ているのではないか。
園と小学校との接続
磐田市で幼児関係の業務に携わっていたときに、公立園から「築山が低くなってきたので、土を入れてほしい。」という要望を受けることがあった。園を訪問すると、砂場と築山はセットで園庭にあることが多かった。
園長さんや主任さん、元園長さんたちに話をうかがうと、園にとって築山は大事とのこと。小学校の校庭や遊具にも築山があることがあるが、それほど重要だとは(個人的に)思っていなかった。
園児は、山を上ったり下りたり飽きもせず遊ぶ。ときには、水を流して泥だらけになって遊ぶ。滑って転ぶこともあって危ないのに、築山が大事なのは、「感覚統合」にあると知って、私は衝撃を受けた。
園児は、山を上ったり下りたりすることを繰り返す中で、関節の角度、筋肉の収縮の程度・力の入れ具合などを脳に情報として送る。やがて、自分の体に対する実感「ボディ・イメージ」を高めていき、自分の体を思い通りに動かせるようになっていくのだ。
築山の上り下りだけでなく、木箱から飛び降りたり、缶ぽっくりや竹馬、一本歯の下駄で遊んだりすることも、園児の感覚統合を促す。私たちの体は、生まれながらにして自分の思い通りに動かせるわけではない。幼児期の遊びや活動を通して、いろいろなことができるようになっていく。園の先生が「遊びそのものが学び」と言う意味は、小学校教員が思っているよりもずっと深い。
子どもは小さな大人ではない。できないことがいっぱいある。
しかし、できない理由が「感覚統合」のつまづきにあると考える小学校教員は少ないだろう。小学校教員は「発達段階」という用語は使うが、「感覚統合」と言う用語にはなじみがない。
架け橋期の教育が重要視されるようになった今、小学校教員は、園の子ども理解を学び直すべきである。低学年で○○が苦手な子に対して、「感覚統合」のつまづきがあるのではないか、とアプローチできる小学校教員は救いとなる。不器用な子、敏感な子、発達障がいの子としての困り感だけで支援を行うのではなく、専門性を高め、子どもアセスメントを行える力量が求められる。個に応じた指導とは、学力だけではないのだ。
行政機関で幼児教育に関わり校長になった私は、自校の教員に「園と小学校との接続」の大切さを伝えたいと思っている。そのために、ホームページ等で情報発信をしている。
詳しく学びたい方には、参考図書として「保育者が知っておきたい発達が気になる子の感覚統合」(Gakken保育Books 著・木村 順)をお勧めする。

環境教育
子どもたちの豊かな感性を育むために、1~4年生は、小動物や虫にたっぷりと親しませるのがよい。幸いにも本校には、ビオトープや森があり、生き物が多い。豊かな自然を生かす、本校ならではの特色ある教育活動になるのではないか。学校に捕虫網を新たに補充し、子どもたちが自由に使えるようにするつもりである。
バーチャルなゲームの世界では、画面の中で探し物を見つけたり、敵を倒したりする。ゲームの操作は、目と指先の細かい動きに大きく頼っている。いっぽう、トンボとりではどうか。自分の腕に捕虫網の柄の長さを足し、高速で動いているトンボを網の中に入れることは、空間認知能力を大いに高める訓練になる。トンボとりは、ゲームとしてもおもしろい。
また、昆虫のような小さなものをつまむことは、力の入れ具合やつかみ方を調整しなくてはならず、脳を刺激する。バッタとカニではつまむときの力加減が違うのである。
幼児期から10歳くらいまでに「感覚統合」がうまくいかないと、学校生活や学習に支障をきたすようになることがある。虫捕りを楽しみながら体を動かし、目、耳、鼻などの感覚器官を刺激し、脳の機能を高めていくことで、体の使い方が上手になり、様々な活動に主体的に取り組めるようになっていくだろう。私の経験上だが、発達障がいの子の療育にも、虫捕りは、ぴったりの活動である。
虫をつかまえて触れ、体のつくり、形や色の違いに気付き、名前を覚えて、豊かな感性が育っていく。人に比べて寿命が短く、環境による影響を昆虫は受けやすい。多様な昆虫が生きられる土地が、本当に持続可能な世界なのだ。未来の笠原がそんな場所になることを願っている。
環境教育
しばらく前、書店で図鑑を立ち読みして即買いした。「小学館の図鑑NEОネオ [新版] 昆虫」である。虫好きとして、画期的な図鑑なのだ。作り手のすごいこだわりが感じられる。
どこがすごいかと言えば、虫が生きているのである。今までの昆虫図鑑は、標本を写真に撮って並べたものだった。ところが、この図鑑は生きた虫をつかまえて、生きたまま写真に撮って本にしてしまったのである。
チョウ類や甲虫類ならば、死んだ標本だろうが、生きていようが図鑑のクオリティとしてそれほど差はない。
トンボ類は、ずいぶん違う。生きているときのトンボの眼は宝石のように美しいが、死ぬとスイッチを切ったテレビ画面のように暗くなってしまう。
とにかく、図鑑全体のライブ感が今までとは違うのだ。これは買いである。2000円は安い。本校の図書館にもほしい!
「改訂新版 世界文化生物大図鑑 昆虫Ⅰ」(世界文化社 2004年初版)という、当時定価1万円(税別)の図鑑を持っているが、それよりも写真がいい。

1万円の図鑑は専門的だが、トンボの写真は、眼が死んでいる。頭をひねり、羽をそろえた標本おきまりのポーズである。

子ども用の図鑑と侮るなかれ。

写真はだんぜんいいし、分かりやすい。

生きている虫を撮影して本をつくったのがわかる。生態写真として屋外で撮った生きている虫を載せることは今までもあった。学研の図鑑は、1つ1つの虫が標本ではなく実物なのだからすごい。
その他
朝の登校指導に出かけると、コンクリート壁の落書きが目に留まった。「昔の子は壁や道路にたくさん落書きをしたなあ。自分も道路に陣地を描いて遊ぶ『しかくとり』『まるふやし』で、大人に注意されたっけ。」と感慨にふけっていると、ん?。見慣れた名前を見つけた。これは最新の落書きだ。
写真を撮って職員室にもどり、教頭と教務主任に伝えた。教頭が落書きを消し、画像をもとに担任に事情を確認するように伝えた。子どもたちへの指導まで、素早い対応だった。いじめ案件でなければいいが、落書きは問題行動ではあるので、指導が必要である。教務主任には、学区の公園や公共物などへの落書きがないか、子どもたちから情報収集するように指示した。生徒指導案件は、初動が重要である。

落書きがあったコンクリート壁(児童名の部分は消してある)
9月11日(木)の朝。落書きは消されていた。聞き取りの結果、いじめ案件ではなかったので、一安心。書いた子を特定して、指導も行った。
