平成31年(令和元年)の修学旅行
2025年8月29日 12時51分1クラス24人の6年生が、東京に出かけました。時期は特定できません。
卒業アルバムには25枚の修学旅行のスナップ写真が載っています。行程を想像してみると、掛川駅から新幹線で東京へ。羽田空港、浅草、国会議事堂、スカイツリー、東京ディズニーランドを訪れています。ディズニーランドの写真は夜に撮られています。
1クラス24人の6年生が、東京に出かけました。時期は特定できません。
卒業アルバムには25枚の修学旅行のスナップ写真が載っています。行程を想像してみると、掛川駅から新幹線で東京へ。羽田空港、浅草、国会議事堂、スカイツリー、東京ディズニーランドを訪れています。ディズニーランドの写真は夜に撮られています。
平成20年の卒業アルバムには、修学旅行のときの9枚のスナップ写真が載っています。1クラス23人の6年生が、東京に出かけています。時期は特定できませんが、秋です。
掛川駅から新幹線で東京へ。上野方面を散策、東京国立博物館前での集合写真があります。国会議事堂に行き、夕方から夜にかけて東京ディズニーランドで過ごしています。あと、浅草にも立ち寄っています。帰りも新幹線のようです。宿泊場所は不明です。
平成10年の卒業アルバムから、修学旅行を見ていきましょう。
1クラス39人の児童が11月に出かけています。行先はなんと、京都です。13枚のスナップ写真から行程を推測すると・・・・
掛川駅から新幹線で京都へ。途中、「ひかり」への乗り換えがあったかもしれません。京都駅からの移動方法は、貸切バスだと思います。豊国神社、京都国立博物館、二条城、東寺、金閣寺、伏見城などをめぐり、1部屋に7~8人くらいで和風旅館に宿泊しています。笠原小の制服は着ていません。
小学校の修学旅行といえば、東京が定番だと思っていましたが、笠原小が京都に行っていた時期もあったのです。
吉岡さんとのやり取りの中で、校歌の音が下がっていることが分かりました。子どもたちが歌いやすいように、伴奏者の負担が減るように改善してきたみたいです。
吉岡 様
校歌の伴奏譜を添付します。
旧の楽譜の方が音が高いそうです。子どもたちが歌いにくくなったので、音を下げたものを現在使っております。
明日から、いよいよ2学期が始まります。
笠原小学校長 岡本正彦
岡本校長
楽譜ありがとうございます。とても懐かしく拝見しました。そうです、私の時代はDメジャーでした。今は一音下がったのですね。伴奏も黒鍵がなくなり簡単になりましたね。当時農協の近くのピアノの先生へ楽譜を見せて、稽古をつけてもらいました。
今はニューハンプシャー州へ仕事で参っております。帰ったら早速弾いてみたいと思います。
2学期が8月のうちから始まるのですね。色んなジェネレーションギャップに驚いております。
皆様が楽しく安全な2学期が迎えられますよう、お祈りしております。
吉岡
2学期が始まったばかりなのに、令和8年度の修学旅行の検討がありました。
来年度の6年生は、全員で17人のため、貸切バスの使用料が割高になります。加えて物価高のあおりを受けて、1泊2日の旅行代金が、今年の2割増しくらいの案を提示してきました。
修学旅行代金が4万円を超えることは想定されていなかったので、今後は積立金の徴収のしかたも、考える時期だと強く感じます。
学校の規模が小さくなることで、修学旅行も卒業アルバムも割高になることを覚悟しなくてはなりません。それにしても、上限がありますから、今まで通りのやり方ではないものを考えていこうと思います。学校に残されている卒業アルバムを読み直して、昔の修学旅行を調べてみました。
平成元年(昭和64年)の笠原小学校の修学旅行を見ていきましょう。10月23日・24日に2クラス50人の児童が出かけています。卒業アルバムには16枚のスナップ写真が載っています。(昔の笠原小は、制服があったのですね。)
まず、掛川駅から新幹線、在来線で鎌倉へ。鶴岡八幡宮、鎌倉大仏を訪れています。それから、国会議事堂、東京ドーム、遊園地(東京ドームシティアトラクションズ?またはとしまえん?)を訪れ、帰りも新幹線だったようです。
8月28日(木) 始業式 校長の話
さて、夏休みが終わってさびしい気持ちと、友達に会えた喜びの両方があると思います。今年の夏は、海や川の事故で亡くなってしまった子がいます。ニュースのたびに、笠原っ子は大丈夫かなと、はらはらしました。2学期になって、みんなが学校に戻ってきてくれて、先生たちは本当にうれしいです。今日は、笠原っ子みんなが登校して、欠席ゼロです。私が、校長になって笠原小に来てから、全員登校した日は今日が初めてです。「学校を楽しくしよう」と工夫してきた成果が出たかもしれず、すごくうれしいです。涼しくなってきて、運動場で遊べる日も増えてくるでしょう。友だちといっぱい遊んで、学校での生活を楽しんでください。
運動会やなかよし活動、6年生には修学旅行などの行事があります。中学生先生やこども園の子たちとの交流もあります。校外学習で外に出かける学年もあるでしょう。自分のクラスの友達だけでなく、ほかの学年の子、中学生、こども園の子、地域の人たちなど、たくさんの人と一緒に活動し、話をしてほしいです。そして、おたがいのいいところを認め合っていきましょう。PBSが合言葉です。
私は、笠原小の校長になったときから、「1日に20回以上『ありがとう』と言おう」と決め、実行しています。朝1番のありがとうは、校務員の山下さんに言います。職員室の先生方にも、給食の配膳員さんにも、工事の人にも「ありがとう」です。
遅刻してきた子には「今日も来てくれて ありがとう。」 文句や不満を言いに来た子には「教えてくれて ありがとう。」 そうじを一生懸命にやっている子には「きれいにしてくれて ありがとう。」
人から悪口を言われると、怒れて言い返したくなります。自分ができていないことを注意されると、言い訳したくなります。
悪口や注意がたくさんの学校は、いやな雰囲気になります。大人も子供も「ありがとう」をいっぱい言って、みんなが幸せになる学校にしていきましょう。では、最後までしっかりと聞いてくれてありがとう。これでお話を終わります。
吉岡さんからのメールに返事を書きました。お礼かたがた、笠原小学校の近況をお伝えしました。
笠小ランドができた当時の貴重な情報をありがとうございました。学校ホームページで紹介させてください。笠小ランドは、学校の敷地の外にあり、地域の大人が協力して、遊び場として整備してくださった経緯があります。平成13年まで使われたそうですが、そのあとは放置されました。
笠小では、今、子どもたちは木登りができません。校長としては、どんどんやらせたいのですが、なかなか理解が得られにくいです。学校が、「安心・安全」に敏感になりすぎるあまり、楽しさが減っていると思うのです。昭和のコマーシャルのように「わんぱくでもいい。たくましく育ってほしい。(丸大ハム)」とはなりにくいです。昨年度、「全校かくれんぼ」のイベントで、先生方が本気で隠れ、子どもたちが探しました。最後まで見つからずに隠れ通した先生は、木に登っていました。終わった後に子どもたちに「ずるい」と言われたそうです。今の笠小の子にとって、木登りは「反則」だったのかもしれません。
運動場の南側の石段と門は現在、使用しておらず、施錠しています。長く続いたそろばん塾は、昨年度閉鎖されました。指導者の高齢化によると聞いています。
給食は今でもおいしいのですが、学校の給食室ではなく、給食センターで調理され、各校に運ばれます。昔のように、学校に給食のおばさんはいないのです。
2学期の始業式では、笠原小の子に吉岡さんのことを紹介しようと思います。どんな反応があるか楽しみです。
楽譜を送っていただきありがとうございます。また新学期が始まりましたら、お手隙の際に伴奏譜をお送りいただけますと幸いです。
もし児童から質問があればもちろんお答えします。ゴスペルは馴染みがないかもしれませんが、有名な曲もたくさんありますし、ニューヨークや英語で生活することもなんでも質問していただければと思います。
卒業アルバムの表紙を見てその時の様子が蘇ってきました。カメラマンの方が、チーズと言ったら何か声を出してと言っていました。素直に従う子たちとそうでない面々を見て納得です(笑)
当時、笠小ランドは確かアスレチック広場かアスレチックフィールドと呼ばれていたと思います。出来たばかりで、みんな意気揚々と遊びに行きましたが、入り口にあった鉄パイプ2本でできた滑り台は、難易度別に3つ並んでいましたが、どれも非常に高くて長くて、わたしは恐る恐る一度試したっきり怖くて近づけませんでした。
写真に写っている丸太の馬みたいなものも、高くて、下にクッションみたいな気の利いたものがひいてあれば良かったのですが、そんなものはなく、落ちたら地面に真っ逆さまで、これも怖くて遊べませんでした。もっぱら坂を降りたところにある雲梯とかタイヤの飛び箱、奥の方にもうすこし安全な滑り台か何かがあったので、そこで遊んでいました。私にとってはかなり難易度の高い遊び場でした。
運動場の方だったかもしれませんが、木登りに適した木が何本かあって、ここまでは登って良いよという白いペンキが塗ってありました。
運動場の奥にジャングルジムがあり、その奥の石段を降りていくとそろばん塾があって、4年生になると毎日放課後に通っていました。いまでも計算するときに右手の指が動きますので、周りに珍しがられます。もういまはないんでしょうか。
笠原の郵便局のあたりにお習字の塾もあって、週二回通っていました。
給食もほんとうに美味しかったのを覚えています。給食のおばさん達がいて、毎日校内で作ってくれていました。
子供時代を素晴らしい環境で過ごすことができて幸運だと思います。
長くなりましたが、笠原小の皆様のご健康とご多幸をお祈りしています。
吉岡 香余