校長のあたまのなか

「どんぐりと山猫」(宮沢賢治)と笠原っ子

2025年10月15日 15時48分
地域との連携

 岡崎会館から、会館だよりへの寄稿依頼があった。タイトルは自由だが、人権や共生に配慮した内容を心掛けた。800字程度の字数という指定だった。今回は、宮沢賢治で書くことにした。図書室からお目当ての本を探してきた。

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 「どんぐりと山猫」(宮沢賢治)と笠原っ子

笠原小学校長  岡本 正彦

 

 宮沢賢治の童話「どんぐりと山猫」が、私は好きである。

 黄金色のどんぐりたちは、誰が一番えらいのかを山猫に決めてもらうために、三日間も裁判をしていた。「頭のとがりぐあい」「丸さ」「大きさ」「せいの高さ」などえらさの基準を各々主張し、山猫の仲裁は全く聞き入れられなかった。

 一郎少年が助言したのは、「いちばんばかで、めちゃくちゃで、まるでなっていないようなのが、いちばんえらい。」ということだった。これでどんぐりたちを一分半で黙らせ、解決してしまう。逆説で論破しているように読み取れるが、賢治の詩「雨ニモマケズ」の中の「デクノボー」や、「虔十公園林」の「本当のさいわい」につながる、仏教的な教えや老荘思想を含んだ深い寓話なのである。

 笠原っ子は、一年生から六年生まで学級編制がなく、同じ集団の中で成長する。衝突し、どっちが上なのかを争い、学級内で人間関係が固定化していき、それによって苦しくなってしまうことがある。大人から見れば、大した問題には感じないことでも、笠原っ子にとっては一大事である。私には笠原っ子が、黄金のどんぐりの姿に重なってしまう。

 多様な価値観や基準のある中で、優劣を競いすぎることは、それほど大切ではない。「頭がいい」とか「走るのが速い」とか「力が強い」とか「絵がうまい」とかよりも、お互いのよいところをもっと認め合ってほしい。

 先生たちも、基準を厳密にして優劣(成績)を付けることに、一生懸命になりすぎないほうがいい。小学校の成績だけで、その子の人生が決まるわけではないのだから。

 笠原にとって、一番えらいのは、「ふるさとである未来の笠原を支える人」である。大人になっても笠原に住んで、地域を直接支える人もいるだろう。スポーツや勉学などに励み、笠原を離れて活躍する人もいるだろう。たとえ笠原を離れても、笠原を忘れず大切にする人は、やっぱりえらいと思う。