校長のあたまのなか

ロボットと感覚統合

2025年9月24日 15時40分
研修

 人間ドックのため、朝から病院に向かった。待ち時間用にと、自室の本棚から目についた赤い表紙の本を持って行った。「進化とは何か ドーキンス博士の特別講義」(早川書房 2014 吉成真由美 編・訳)である。

 大学生のときに「利己的な遺伝子」という著書に衝撃を受けた私は、ドーキンス博士の本が出るたびに購入して、読み進めてきた。「進化とは何か」は、子どもたちを相手に行われた5回分の授業を書籍したものである。

 冒頭の一節「宇宙で目を覚ます」から、深く考えさせられ、手が止まった。

 まず最初に、両手を頭に持っていって、そっと自分の頭を触ってみてください。これはあなたにとっては実にたやすいことですが、こんなことができる機械を作ろうと思ったら、物理的にも金銭的にもそう簡単にできるものではないんですね。

 腕を上げていくと、あなたの腕の筋肉が今どこに位置しているかを正確につかむメカニズムが、筋肉内部に備わっている。また、指先にある幾千ものセンサーが、あなたの髪の毛の質感や、耳の形、頭蓋骨の形をハッキリと感じ取る。あなたの脳が、自分の頭蓋骨の幅を精確に測っているのです。もし、こういうことができる人工的なロボットの腕を作ろうと思ったら、100億円を超す費用がかかってしまうでしょう。

 このレクチャーが行われたのが1991年なので、34年たった現在では、100億円はかからないかもしれない。しかし、そう簡単に作れないことだけは、当時から変わっていない。

 コンピュータの脳に当たる中央演算装置(CPU)の性能は格段に進歩したのに、幼児でも当たり前にできるような動作をロボットにさせることは、2025年になっても難しいのだ。体の動きを制御して調整しながら動かす「感覚統合」は、それほど高度なことなのに、人間という生き物は、目を閉じた幼児でも可能にしてしまう。

 私が小学生のころに手塚治虫原作のアニメ「ジェッターマルス」が放映されていた。鉄腕アトムをかわいくリメイクしたような話だった。好きなアニメだったので主題歌はまだ歌える。「♬ひかり まぶしい にっぽんに 1つの いのちが はばたいた そのなは マルス ジェッターマルス ときは2015ねん」ジェッターマルス 第1話

 2000年に、ホンダのロボット「ASIMO(アシモ)」が登場したときには、15年後のマルスに間に合うかと期待したものだ。

https://www.honda.co.jp/ASIMO/history//asimo/index.html

 しかし、2025国際ロボット展でも、マルスのような人型ロボットは出てこない。https://irex.nikkan.co.jp/

 子どものころ胸躍らせた戦闘用の人型ロボットの出現は、私が生きているうちには間に合いそうにない。

 AIが進歩しても、体の細部の動きまで制御できるロボットを作るのは困難を極める。ただ歩いたり、プログラミングされた動きをしたりするロボットで精いっぱいの技術レベルである。ドーキンス博士の次の言葉にうなずくばかりである。

 どんなに驚くべきテクノロジーでも、生命の素晴らしさの前では色あせてしまいます。

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